■鳶が鷹を生むが、鳶は鷹に嫉妬する
藤原忠実は元々、三男の頼長をかわいがり、二男の忠通を疎ましく思っていた。
なぜなら頼長は、忠実に性格が似ていたし、出来の悪い子ほどかわいい。
一方忠通は、鳶が鷹を生んだかんじ。
何事もそつなくこなし、出来が良かった。
普通の親なら出来のいい息子を、頼もしく思うものだが、忠実は息子の持つその才能に、嫉妬心を抱きながら過ごしていた。
忠実は白河上皇の空気を読めなさ過ぎて、白河上皇の怒りを買い、10年間の謹慎処分となる。
一方忠通は藤原氏長者と、鳥羽天皇の関白に就いた。
(その後も崇徳天皇、近衛天皇、後白河天皇の3代にわたり摂関を勤める)
1129年、白河上皇の崩御を機に、忠実の10年の謹慎が、2年短縮となり政界復帰。
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忠実はできのいい忠通に対して、元々嫉妬していたが、久しぶりに復帰して座った席は「内覧」
忠通は「関白」
「息子が私の上司」
忠実は復帰できた喜びから、いきなり自分の不甲斐なさをつきつけられると、
忠実は頼長と共に、忠通に対して様々な嫌がらせを繰り返した。
■重なりあう野望
★鳥羽上皇は、藤原得子にメロメロだった。😌💓♥️❤️
なので人事は得子の言いなりだった。
得子は「私の生んだ体仁を、早く天皇にさせてくださいな」と、上皇に一度おねだりするだけで、その願いは叶った。
崇徳天皇が譲位し、体仁は近衛天皇として即位した。
得子は死ぬまで権力を握りたかった。
鳥羽上皇と自分が死んだ後に残される娘のため、財産を蓄えておきたかったからだ。
だが、、
近衛天皇は若くして崩御した。
得子は今の自分の権力は、鳥羽上皇の後ろ楯によることは、十分承知していた。だから絶対、崇徳上皇に政権を奪われてほしくなかった。
莫大な財産を得るまでは。
★藤原忠通は、父・弟との対立に疲れはてていた。得子に協力することで、
父・弟を再起不能にさせたかったし、
崇徳上皇の妻で娘の聖子には子ができず、他の女に子を生ませた崇徳上皇が許せなかった。理性では理解できるが、
感情的には絶対許せなかった。
そこは父と似ている。
★信西は権力掌握を目指していた。
三人は謀議し、
まず、本来ならば崇徳上皇の子が、近衛天皇の後継となるところを、
後白河天皇を即位させる。
同時に、世間に噂を流した。
「近衛天皇の死は、藤原忠実・頼長父子の呪詛のせいだ」
「崇徳上皇と藤原頼長は協力して謀反を起こそうとしている」
とうとう得子の後ろ楯であった、
鳥羽上皇が崩御した。
だが得子はすでに、この時が来ることを覚悟していたので、すぐに今後の展開と、戦略を思案した。