藤原北家の作法は、道長まで九条流でしたが、その子孫からは御堂流へ分流しました。


★御堂流とは

道長は妻の明子の父、源高明が著した「西宮記」を相伝。

藤原北家九条流を継承しながら、源氏の作法加え、独自の流派を形成し、口伝秘事として子の頼通・教通に継承され、その後、教通が妻の父、藤原公任が著した「北山抄」を相伝。小野宮流の作法をとりこみ、藤原北家御堂流の作法が形成された。