藤原兼家長男

藤原道隆

953~995

42年間の少し短い人生だ。

酒の飲み過ぎで糖尿病が悪化して死亡。


円融天皇が花山天皇に譲位。

2年後花山天皇は出家し

道隆妹の詮子が生んだ円融天皇の子、

懐仁親王が7歳で一条天皇として即位した。摂政は父の兼家。


6年後、道隆は娘の定子を15歳で、

一条天皇の妻にする。その年は一条天皇の元服、父の死去による関白就任、定子を強引に皇后に立てるなど忙しかった。


当時の皇室典範では、皇后は三后までと定められていて、すでに三后の席は埋まっていた。


太皇太后 冷泉天皇正妻

皇太后  一条天皇生母

中宮   円融天皇正妻


中宮とは皇后の別名であったが、

中宮を皇后から切り離して、

新たに4つめの皇后席をつくり、

定子を座らせた。


道隆は生前定子以外を一条天皇の妻に迎えさせることを禁止していたが、

しかしそうまでしても、道隆生前に定子は子をなさず、995年、亡くなる年に次女を、東宮である貞親親王の妻にする。


4月10日死去

弟道兼が関白となるが、5月8日に死去。当時麻疹が流行していた。