藤原北家九条流の祖

藤原師輔の長男

藤原伊尹

「これただ」と読む。

924年~972年

48年の人生です。


父の死を受け参議となり、

弟の兼通と兼家を蔵人頭に送り込む。


伊尹43歳のとき、冷泉天皇が即位すると、叔父の実頼が太政大臣関白に就任し、伊尹は実頼に「摂関」の仕事を教わりながら、権大納言に就いた。

冷泉天皇は狂気の病があり、子もまだいなかったので、早々に弟で10歳の、

円融天皇に譲位した。


亡き父村上天皇の遺命は「長男冷泉天皇の子孫に皇位継承させよ」であり、円融天皇は冷泉上皇に子が生まれ、

成長するまでの継なぎであった。


翌年、伊尹は娘の懐子を冷泉上皇の妻にすると、めでたく師定親王(花山天皇)を生みその子を円融天皇の後継とした。

冷泉天皇には正妃の雅子がいたが、

雅子は天皇の狂気を恐れ近づけ

それを知っていた伊尹は娘に「藤原家のために子をなしてくれ」と泣いて頼みこんでいたのだ。


970年叔父の実頼が死去し、

伊尹は、藤原長者となり、

11歳の円融天皇の摂政となる。


972年、孫が即位する姿を見ることなく、48歳で死去した。