藤原北家八代目

藤原忠平

藤原時平の弟です。

忠平の兄は菅原道真を左遷し、

怨霊に祟られ亡くなった藤原時平で、

忠平は怨霊盛んな時期を生きましたが、長生きでした。


忠平は、兄・時平が怨霊祟り死したので、兄の後釜として、藤原氏長者と左大臣を継ぐ。

朱雀天皇が7歳で即位すると、摂政に、天皇が14歳で成人儀式の元服をすると関白に就く。


兄・時平は醍醐天皇に仕える左大臣だった。

道真は右大臣➕宇多上皇の側近であり、藤原一族にとっては危険な存在だった。

道真は新参者であったので、貴族界隈から妬まれていた。

そこに醍醐天皇の宇多上皇への反発も絡み、道真は大宰府へ左遷された。


醍醐天皇の宇多上皇に対する反発の原因は、時平の妹・藤原隠子との結婚を反対されていたからだ。

宇多上皇は反藤原で、天皇家にこれ以上、藤原の血を入れたくなかったので、醍醐天皇と藤原隠子の結婚は反対していた。


醍醐天皇の、菅原道真の大宰府左遷の目的は、知恵者である道真を宇多上皇から切り離し、宇多上皇の政治力を弱め藤原隠子と結婚することにある。

そこに藤原一族の菅原道真に対する危機感と、周囲の菅原道真への妬みが、合致したのである。

菅原道真が大宰府へ左遷した年、

醍醐天皇は藤原隠子と結婚した。


怨霊は約50年祟った。

醍醐天皇

朱雀天皇

村上天皇

冷泉天皇

の時代に怨霊祟りを発動した。


★藤原時平など道真左遷関係者の急死

★藤原隠子の生んだ保明が21歳で急死

★藤原隠子の孫であり、保明の子・慶頼5歳で急死

★清涼殿に落雷

★醍醐天皇45歳で崩御

★平将門の乱

★藤原純友の乱

★富士山噴火🌋

★大地震

★大洪

★村上天皇41歳で崩御

★冷泉天皇の狂気の病


やはり「祟り」だと思うよなあ。。


だけどこれって、菅原道真の祟りではなく、藤原の血を入れたくない宇多上皇の祟りだ。