■藤原北家七代目

藤原基経の長男

藤原時平


871年~909年

38年間の人生だった。


■1000年続く噂

時平が38歳で亡くなった原因は、菅原道真を大宰府に左遷させたので、道真の怨霊に祟られたからだという。そんな噂が現在まで約1000年続いている。

だから、、、

「道真は悲劇の人😢

時平は極悪の人😠」

という心情になるが、

はたしてこれは真実か?


■宇多天皇は藤原氏を怨んでいた

藤原時平が仕えていたのは、

宇多天皇と、醍醐天皇である。

宇多天皇は藤原氏に怨みがあった。

父、光孝天皇が崩御する直前、父は関白・藤原基経に対して「息子をわが子のように接して下さい」と遺命、基経も承知したはずなのに、、宇多天皇は基経から醜い仕打ちをされたからだ。藤原基経は父を裏切ったのだ😠


■藤原基経は天皇を舐めている

その裏切りというのは、、

宇多天皇が即位し、基経に関白を任命するための勅書を送った。すると基経はその勅書の文章が気に入らないと出仕拒否をし、政務が滞ってしまったのである。

宇多天皇は勅書を訂正し、基経の娘を我が子と結婚させることで、事態を収拾した。。天皇なのになぜ臣下にこんなことまでしなくてはならんのか?

私は舐められているんだ。

宇多天皇は屈辱感にまみれた。


■側近は藤原ではない菅原道真を

この一件以来、宇多天皇は藤原家を怨み、藤原家をまったく信用しなくなった。宇多天皇は官位は低いがその才能を見込んで菅原道真を側近にした。

ちょうど関白藤原基経が死去し、その長男時平は21歳で若く、「関白はできません」と辞退したので、宇多天皇は菅原道真を側近とし、自ら政務を執り行えた。


■絶対藤原の血は入れない

宇多天皇は即位して10年後、醍醐天皇に譲位した。譲位に際して醍醐天皇に与えた勅書では、

「藤原時平と菅原道真に政務を委ねるよう」という意思表示がなされた。

そして、藤原北家を外戚にすることを防ぐため、醍醐天皇に宇多天皇の妹である為子を正妃に立てた。

藤原の血は絶対に入れたくない❗


■菅原道真生前からの怨霊たち

899年、

時平は左大臣、

道真は右大臣となる。道真にはプラス宇多上皇の側近という地位もある。

名門の氏人や、藤原氏は、新参者の道真に冷ややかな目を向けた。

「菅原?誰?氏じゃなくね?」

宮中には負の感情が渦巻く。

もうこの時から怨霊は渦巻いていた。生怨霊が、、、


■プラス宇多上皇の呪詛

宇多天皇は菅原道真の後ろ楯になっていたが、次第に仏道に熱中してしまう。宇多天皇は藤原家滅亡の呪詛を確実に行うため阿闍梨になった。真言宗の僧である。

901年

宇多天皇が呪詛に夢中になっているなか、「宇多上皇を惑わし、醍醐天皇を廃し道真の娘婿、斉世親王を皇位に就けようと図った」という罪で道真は大宰府に左遷となった。


■菅原道真の怨霊の正体

903年菅原道真は大宰府で亡くなり、

909年藤原時平も亡くなった。

これは確かに怨霊が原因だが、菅原道真への嫉妬から発生した怨生霊と、宇多上皇の呪詛だった。

菅原道真は怨霊にはならずきちんと成仏した。

怨霊は生前から怨霊的人格を持っている。