■幼い権威

良房甥、文徳天皇が崩御すると、

良房孫、清和天皇が9歳で即位。

良房は天皇を後見し、まだ幼い天皇の権威を増すために様々な演出を行った。


■良房大病

出すぎた杭の藤原良房は、

誰にも打たれない存在だった。

だが、864年秋、大病を得て政界を退く。すると良房に蓋をされていた杭が顔をだし始めた。


★政界を牛耳る三者連合

※妹の順子

※弟で右大臣の良相

※大納言の伴善男


★三者連合の反対勢力、源三兄弟

※左大臣の源信

※中納言の源融

※源勤


★「源三兄弟が謀反を企てている」と、真偽不明な投書が入り、両者の対立は激しくなる。


■弟・良相の小さな謀略

藤原良房が休養中、「源三兄弟が謀反を企てしているという投書があった」という報告があった。

これは弟の謀略だと直感する。

弟は良房の謀略のやり方をよく見て、知っているのだから。


1年後の秋に良房は回復し、政界復帰をはたす。

弟の良相は病み上がりの良房を見て「兄はもう長くはないな。次は自分が出すぎた杭になってやる」と決意し、

翌年春、清和天皇を招いて花見の宴を催した。


良房「やはりそうきたか」と、直ちに良房も、より豪華絢爛な花見の宴を競うように催した。二人の対立は誰の目にも明らかだった。


■藤原良房の大謀略

藤原良房は忍びの者に、応天門を放火させた。。


良相と伴善男が、源信に放火の嫌疑をかけた。


良房は天皇に、

「源信は放火犯ではない。

必ず真犯人はいる。なぜか?

私は源信を信じているからだ」

と根拠ない説明をしたが、天皇は祖父を信頼していたので、源信を釈放。


次に伴善男が告発された。

尋問が開始されると、良房は天皇を諭す。

「これは難しい仕事なのでじいちゃんに任せなさい。そうだ!天皇に政治の知識がつくまで、すべてじいちゃんに任せなさい」

天皇は良房に「天下の政を摂行せしむ」と、摂政命令を与えた。


伴善男は失脚。

良相の政治的権力を失わせ、

藤原良房の養子・基経(良房長兄)の妹を清和天皇の妻に選んだ。



872年9月2日死去 享年69

長生きした。