■果報は寝て待てない■


藤原北家五代目の藤原良房の、最大の目的は[天皇の祖父になることで、藤原北家を未来永劫に繁栄させる可能性を広げること]であった。

これは藤原北家訓である。


とりあえず妹の順子を、皇位継承権のある嵯峨上皇の皇子、正良親王の妻にすると、めでたく道康親王を生んだ。


甥の道康親王に、良房の娘明子を妻にさせると、めでたく親王が生まれた。


あとは時間が過ぎるのを待てば、自然に天皇の祖父になる。

果報は寝て待てである。


が、しかし


亡き桓武天皇の遺志「嵯峨と淳和兄弟系の交互皇位継承」により、皇統はストレートな線ではなくジグザグな線。時間がかかりすぎる。

寝て待っていられん。

孫が天皇になる前に良房自身が死んでしまうではないか!

いつの間にか良房の目的は、藤原北家の未来のためではなく、自分が生きているうちに自分の欲望を満足させたいとなる。

これが人間の性。


そんななか、目の上のたんこぶ的存在の嵯峨上皇が崩御する。

それからの良房は自己の欲望から発生した明確な目標達成に向かって謀略に謀略を重ね、皇統継承はストレートな線、直系に継承されることになった。


良房の甥の道康が文徳天皇として即位した。

娘の明子は惟仁親王を生んだが、

既に天皇には他の妻との間に3人の皇子がいて、惟仁親王は第四皇子だった。

そして、天皇は第一皇子の惟喬親王を皇太子に立てたかったが、母親の身分が低いという理由で良房に反対され叶わず。明子の生んだ第四皇子の惟仁親王が生後8か月で皇太子に立つ。

これを境に天皇は良房を憎むようになり、政務もボイコットし、自宅に引きこもった。


良房は天皇大権を掌握した。


858年文徳天皇崩御

31歳の若さだった。

藤原良房は、とにかく早く天皇の祖父になりたかったから。。