中臣氏・藤原氏の祖神(おやがみ)は、
天児屋命(あめのこやねのみこと)
神事を司り祝詞を美しく奏上する神。
中臣氏は先祖代々、お祓い、託宣、占いなど神事を家業にしていたが、中臣鎌足はこの職業が嫌だったので、家族や親戚の反対を押しきり、世襲制の神祇官長官を辞退。部屋に引き込もって中国の軍事学書を暗唱できるまで読みふけるうちに戦争がしたくてたまらなくなる。やりがいある仕事を見つけたのだ。
とうとう自分の考えた作戦が開始された。
645年、なかのおおえのみこ、石川麻呂らと、政権を握っていた蘇我入鹿を暗殺し、その父を自害させることに成功。アドレナリン噴出❗かいかん❗
次にめざすは政治戦略家。
なかのおおえのみこの腹心となって、大化の改新をおしすすめた。
668年には長いこと即位しなかった「なかのおおえのみこ」が、天智天皇として即位した。中臣鎌足もようやく天皇の腹心という立場に上ったのだ。
しかし
その翌年、中臣鎌足は馬上から転落し脊髄損傷。余命幾ばくもないことを聞いて天智天皇は鎌足の見舞に訪れると、涙ながらに「長いこと待たせてすまなかった」と告げ、
鎌足に大織冠と藤原姓を賜った。
その翌日死去。享年55
大織冠とは冠位最上位👑。
史上藤原鎌足だけが授かっている。
■わたしの思い
中臣鎌足には娘がいたが、天智天皇にも、天智天皇の皇子たちにも嫁がせていない。天智天皇の弟の天武天皇には娘2人を嫁がせているが、姻戚関係を利用して政権を牛耳ろうとはしなかったはず。中臣鎌足時代の天皇は権力が偉大すぎたのと、中臣鎌足自身、純粋に「自分の好きな仕事がしたかった」だけだった。
しかし未来の藤原氏は、天皇にからみつく「藤のつる」になる。
仏教に正法、象法、末法という時期があるように、藤原氏も変化していく。