蘇我稲目は娘を欽明天皇の妃に入れた。皇后ではない。
皇后は石姫。
石姫の祖父は仁賢天皇。
父は宣化天皇。
石姫の子が皇位を継ぎ
第30代 敏達天皇となる。
敏達天皇の皇后は広姫。
広姫は近江国坂田郡氏族の息長氏娘
皇族ではない。何かおかしい。
そしてまだ蘇我氏の孫の出番はない
蘇我氏といえど、皇族の血を引いていない自分の娘を皇后にするのは畏れていたし、伝統は守りたかった。
無知は畏れも知らない。
天皇や皇后の何たるかをを知らない、息長氏に先を越されてしまった。
蘇我氏しばらく静観。
皇后に男児が産まれた。
この子は確実に皇位を継承する。
蘇我氏は動いた。
広姫は立后した年に亡くなってしまう。575年立后~11月崩御。
蘇我氏は皇族の血を引いていない孫を皇后とした。畏れと伝統を捨てたのだ。
後妻の皇后は額田部皇女。
次期33代推古天皇となる人である。
やっと、蘇我氏の孫が皇后という立場を得た。
そして、蘇我氏の血を引かない敏達王朝の有力者は、都から離れた場所で宮を営んだ。広姫の産んだ子どもたち3人もそこで養育された。男児は押坂彦人大兄皇子。34代舒明天皇の父である。