菅原道真は平安のゲーテ。

晩年に政争に巻き込まれ失脚。

死後、「世にあげて言う。そちの霊魂宿念のなすところなり」と怨霊になり、災害異変多発。


道真は太政大臣を贈られ、

[北野大自在天満天神]の名で祀られ、生前にも勝る名を史上に記した。

これはおそらく彼の意外とするところ。


天神信仰の普及に影響を与えたのは、巫祝信仰である。

奈良時代の巫祝託宣信仰は九州宇佐八幡に集中されたかにみえたが、偶然にも九州大宰に左遷された菅原道真によって新しい託宣がはやり、京都に持ち込まれた。


このような風潮にのって菅原道真の託宣と称する者が各地に現れた。

人の心の不安は人事を離れた霊界の怨霊問題であるから、その対策には神と人の媒介をはたす巫女に依存せねばならない。

ここにおいて民間巫祝が時代の局面に登場し、その伝達する天神託宣が脚光を浴びるにいたる。

世はすでに10世紀中葉となりながら、原始の巫祝宗教が天下を風靡した。