奈良期以降、信仰の代表は「御霊神(ごりょうじん)。

非業の最期をとげ、この世を怨み、心残りある者の霊を鎮めるために祀った神である。

御霊祭祀と芸能の総合儀礼としてさかんになった。


神話的自然神から、しだいに氏神信仰が確立していく。そして政界不遇の人物の怨霊を鎮祭する御霊会の形式が盛んに。

最初は一般民が企画した御霊会だったが、ついに宮廷が参加し盛り上がった。

そして京都民衆たちの神事は芸能化していった。


司祭的立場の人物は巫女的性格を有していた。

宇佐八幡上京を扇動した「大神杜女(おおがのもりめ)」、

北野大自在天における「多治比文子(たじひあやこ)」など、

いずれも各地を巡業しながら、信仰をひろめるため種々のワザオギ(芸能)を演じ、巫女と芸能を兼ねる者が人気を得た。


神を和める神和(かんな)ぎは、庶民大衆を和める存在に変化したのである。