こんにちは。仁美です。



今日は乳がんではなく、パニック障害になったきっかけなどのお話をします。


あくまでも個人の体験談ですので、こんな人もいるんだ程度にお読みいただけたら幸いです。



私は今から30年くらい前から、パニック障害と共存しています。



30年くらい前のある日、膀胱炎になってたのに気付かず、電車の中でトイレに行きたくなったことがありました。



運悪く乗っていた電車は、各駅停車ではなく、乗り換えの鉄道会社が沢山乗り入れてるような、大きい駅にしか止まらない電車でした。


トイレに行きたくても、全然止まらないし、電車から出られない。


帰宅ラッシュで車内はぎゅうぎゅう詰めで、空気が薄い気がしました。



こんなとこでしゃがみこんでしまったらどうしよう。


漏らしてしまったらどうしよう。


尿意が切羽詰まっていく度、そんなことばかりしか考えられなくなりました。



もう一生電車から降りれないんじゃないかと、本気で思ってしまうくらい。


息苦しくてハァハァ言ったり、そわそわしたり。


私の様子がおかしいので、友達にたくさん心配をかけてしまいました。


思えば、これが初めてのパニック発作だったんだと思います。


やっとの思いで止まった駅で、友達と一緒に降りてもらい、トイレへ行きました。


心配してくれる友達の顔が、トイレに入っている間もぐるぐる回りました。本当に申し訳なかったです。


すると、トイレを済ませたあとも、またあんな風になったらどうしようと思うと、安心するまでトイレから出られなくなりました。



膀胱からすべての水分を絞り出したい気持ちで、もう何も出なくなるまでトイレにこもりました。


それでもまた、すぐに尿意に襲われました。


変な汗をかきながら、なんとか目的地に辿り着いた後も、何度もトイレに行きました。


帰りの電車も何度もトイレに行くために電車を降りました。


友達とは家が別々の方向だったので、1人で途中下車することには誰に迷惑をかけないのだから、気は楽になるはずでした。


でも1人になっても、確かに友達に迷惑をかけるよりは気は楽ですが、頻繁にトイレに行きたくなるのは同じです。
やっとの思いで、家に辿り着いたという感じでした。



その日、友達は「気にしないでね。大丈夫だよ〜」と言ってくれましたが、申し訳無さを引きずっていました。



 -- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - 


今ではすぐに膀胱炎になったな、とわかるのですが、その当時の私は膀胱炎になったことがなくて、膀胱炎の自覚症状がどんなものかわからなかったんです。


膀胱炎は、最終的には腎盂腎炎まで進行してしまいました泣くうさぎ


膀胱炎から腎盂腎炎になったと言われてから、膀胱炎の自覚症状がどんなものかということと、自分の身体症状と全く同じだったことを知りました。
本当に無知でした。


   - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - - - 


私のパニック発作をたくさん見てきたのは、夫です。
当時は彼氏でしたが、ややこしいので夫で統一しますが、同一人物ですニコニコ


ある時、夫の車に乗っていたら渋滞にはまってしまったことがありました。


簡単には降りれないと思った瞬間、私は助手席で、はぁはぁと過呼吸みたいになりました。


どうしようどうしようと繰り返し言い、叫び出したいような気持ちになりました。
お願い、トイレに行きたいから車から降ろして!とパニック状態で夫に頼みました。


かなりの渋滞の時に、そんなことを言われて夫は本当に困ったと思います。


何とか夫が「大丈夫大丈夫、車が止まれるところで止まって降ろすからね。もう少しだからね」と言ったり、手を擦ってくれたりして、私の気持ちを落ち着けてくれました。


夫に迷惑をかけてしまった。
申し訳無さでいっぱいでした。


そこから私は、更にたくさんのことが出来なくなりました。



電車やバスに乗ることも、美容院も、歯医者も、すぐに逃げ出せない場所に行けなくなりました。



通勤も、動悸や冷や汗が出て落ち着かず、とても辛いものになりました。



腎盂腎炎になって1ヶ月程休職し、腎盂腎炎の完治を待たずに、熱がまだある状態で復職しました。



1ヶ月電車に乗らなくて良かったのに、パニック障害は悪くなるばかり。



そこでやっと心療内科に通い始めましたが、でもあまりパニックの症状は改善しませんでした。



トイレに行くために、片道だけでも何度も電車を乗ったり降りたり。



電車が発車する時に、扉が閉まると閉じ込められてしまう状態になるのが怖くて、駅に停車するたびホームに降りて、発車のベルが鳴りドアが閉まる寸前で電車内に戻るのを繰り返す、今思えば危険な乗客でした。



それに、かなり怪しい乗客だったと思います。



次の駅につくまで、冷汗をかきながら通勤する毎日でした。



パニック発作がしょっちゅう起きるのは、精神的にも疲弊します。



パニック障害がひどくなり、会社を辞めることにしました。



今では、環境を変えないほうが良かったのかな?とも思いますが、当時は恐怖感と戦いながら往復3時間の通勤をするのはとても辛いものでした。



そんな私をずっと支えてくれたのが、夫でした。



パニック障害とはどんなものか、私も罹患するまで知らなかった病気です。



夫ももちろん知らなかったと思います。



突然発作が起きたり、今まで全然平気だった閉鎖空間を怖がったりする私にどうして?なんで?って、とても戸惑ったと思います。



私はなんで辛いのをわかってくれないの?と思い、夫はなんでこんなこともできないんだろう?という気持ちだったと思います。



たとえばテーマパークのアトラクションに並んでいても、乗る直前に『やっぱり無理。怖い』と私が言い出し、怒らせてしまったこともあります。



それまでの夫は一生懸命、私の気持ちが落ち着くように頑張ってくれていました。
とても大変だったと思います。



パニック障害が原因で、険悪な雰囲気になったのはその時だけです。



きっと、日常的に私が行けないところやできないことが多くなり、夫は我慢ばかりしていたのが、その時に爆発してしまったのだと思います。




会社を辞めてから約1年位しばらく実家で療養し、短時間の事務のアルバイトから始め、結婚するまではフルタイムで派遣で働きました。



その間、心療内科を転々とし、治療を中途半端にしたまま結婚してしまいました。



結婚後も派遣で働きながら、パニック障害が起きるシチュエーションを避けて暮らしていけました。




子どもが生まれて幼稚園に行くようになると、親子遠足があり、観光バスを貸し切って遠くまで行くので、パニック持ちには本当に辛かったです。



子どもたちの前で、発作が起きたらどうしよう。
洩らしてしまったらどうしよう。
トイレに行きたくなったらどうしよう。
トイレに行っても行っても、またすぐ行きたくなるような気がする。
どうしよう。


バスの席も子どもの隣に座れたら、気持ちも落ち着いたかもしれません。



でも、子供が通っていた園では、子どもたちは子どもたちだけでバスの前の方にまとまって乗り、保護者はバスの後ろにまとまって座ります。



ドアが閉まるその瞬間まで、トイレに篭っていたいくらいの気持ちでした。


子どもたちが小さい頃はママ(私)にべったりだったので、親子遠足にママが行かないといつまたら悲しませてしまうから頑張って行かなきゃ、という一心で頑張りました。



親子遠足は幼稚園の行事なので、行かざるを得なかったのですが、日常生活では苦手な場所を避られるので、根本的に治ってないのはわかっていました。



次女の妊娠・出産をきっかけに、産婦人科医から心療内科への受診を勧められ、また通院を再開しました。



親子遠足は相変わらず苦手でしたが、ふたりの親子遠足を3年間何事もなく行けたことは本当によかったです。


今では、電車にも乗れるし、美容院にも歯医者さんにも行けるようになりました。


心療内科の先生と、夫を始め、周りの皆さんにとても感謝しています。



でもまたがんになって、夫には心配をかけています。
本当に本当にごめんなさいという気持ちです。


  *.。.*゚*.。.*゚゚*.。.*゚*.。.*゚


パニック障害の私が、がんとどう戦っていくのか、自分でも未知の世界です。


でも、私はパニック障害になるのも、生きてる証拠だと思うようにしました。無理矢理にですが  ……



パニック障害は、とても辛いです。


でも今、乳がんになって命のことを考えたときに、私は「パニックも生きてるからだ」と思うことにしました。



パニック障害と、なんとかうまく付き合って行けたら理想的なんですけどね。



でも相変わらず検査はドキドキで、トイレ行きまくりですニコニコタラー



長くなりましたが、お読み下さりありがとうございました。