アルベニスの楽譜にしても、初版以来、誤脱だらけの不幸な運命をたどってきた。とりわけ、ピアノ音楽史上、きわめて重要な《イベリア》は、難解さゆえに、不当に放置されてきたといってよい。1993年に、スペインのアルプエルト社からイグレシアス校訂版が出たが、資料研究による本格的エディションとはいえ、基本的な校訂方針およびテクストの具体的な作り方(調号の書き替え、声部配分の変更など、演奏上の困難を軽減するための配置〉に問題があり、必ずしも満足のゆくものではない。かくて、森安版では先人の研究を踏まえつつ、アルベニスの書法の原点に立ち戻り、徹底的な資料批判が行われた。その結果実に、1、500箇所にのぼる旧版の誤脱の山を一掃することとなったのである。


アルベニスの《イベリア》は、シマノフスキーの作品と同様に、良い演奏をもってはじめて、その真価が伝わる音楽といえよう。見方を変えれば、もともとが高度な名人芸的技巧を誇り、弾き手のチャレンジ精神を鼓舞するように意図された作品ということが出来る。したがって、版を作る側からすれば、指使いのための数字をつけることも、当版の優れて教育的な価値を示すことになる。

次のコメントは、いかにも森安先生らしい。

「指使いを探すことは、そもそも、《イベリア》を弾くことの楽しみの一部である。それは、縄脱けの手を考えついたり、パズルを解いたりすることの喜びと相い通じるところがあり、せっかくアルベニスが出した面白い謎に、編者が余計なヒントを与えて、正解を露骨に暗示するような結果を招いたのではないかと、気がかりである。」

(演奏ノートより) 

この新しい森安版(当時)でいつか《イベリア》全曲の演奏会を!、というのが森安先生をはじめ私達、皆の願いだった。(愛弟子である〉「岡田 博美のミクロコスモス」シリーズで《イベリア》をとり上げると、先生からご連絡を受けたのは昨年(1997年〉の夏。「アルベニス集」の完結を記念する意味もあって、いつになく  はりきっておられた。きめ細かく、誠実に作り上げられた楽譜が愛弟子の手によって音になる。この素晴らしい至福の時を、森安先生もきっと楽しみにしておられる事だろう。 (春秋社発行 「春秋」1998年4月号の掲載記事)



当時 学生であった私は、イギリス在住の岡田 博美さんという素晴らしいお弟子さんの帰国演奏会に度々、お誘いいただき、足を運ぶことが出来 大変有り難い経験をさせていただきました。完結記念コンサートは、岡田さんの演奏により、1998年5月15日 紀尾井ホールにおいて、残念ながら、追悼コンサートとなってしまいましたが、このお仕事をするにあたり多くの方々のご協力を賜り、また先生の偉大な功績として、恩師井口先生のお仕事を受け継がれたことを森安先生ご自身も大変喜んでいらっしゃったことでしょう。私事で大変恐縮ですが、大変光栄なことに、学内でのドビュッシーのエチュードの成績がその時はたまたま良かったようで、イタリア国立トリノ音楽院教授レモ・レモーリ氏の公開講座の授業の演奏を同学年から、7名(だったと思います。)選抜で弾く機会を与えていただき、そのご褒美として、井口先生の伝記'どてら姿のマエストロ’(フォトに掲載中)の本を頂戴致しました。そこには、森安先生が門下生のエピソードとして書かれたぺージについて自慢げに、「気の利いた長さだろうー!一気に読めるさ。」 なんて、おっしゃっていて・・・、これは結びでの、ひと言です。


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私が現在の住まいを購入したときのことである。

先生は「新居祝いをやる」とおっしゃって、いくら固辞してもお聞き入れにならない。「何がよいか?どうしてもいわぬなら、よしゲンナマだ!」とまで言われ、しかたなく「うちにはロクな花瓶がありませんから、先生のお宅にご不要なものがおありでしたら、それをください」とお願いして退散した。

数日後電話あり、「今デパートの花瓶売り場にいるんだけどね。目移りして困っちゃうよ。どんなのが欲しい?」

この時不肖の弟子がどれだけ恐縮したかご想像願いたい。

頂戴した巨大なボヘミアン・カットの花瓶は我が家の家宝として天袋にしまってある。

懐かしい(井口)先生と飲んでいるつもりで、一杯 引っ掛けつつ書きました。

先生に 乾杯!(森安先生記)



天国でどうか、水入らずで にぎやかに、そして、安らかに お眠りください。

不出来な弟子で、いろいろとご迷惑をおかけしました。本当にお疲れ様でした。

今 わたしは、 私なりに がんばって生きています。。 

(*^▽^*)