前回のつづき。


思えば、長年のご研究の成果とはいえ実作業に3年を費やした「シマノフスキー全集」完成後、先生は

「金輪際、こんなシンドイ仕事はやらんぞ!」 とまで 言っておられた。しかし、「アルベニスの《イベリア》をなんとかしてください。あの名曲を、きちんとみんなが挑戦できるような版に」と、不備が目立つ既成の出版譜の現状を訴え続けたのが功を奏したのか、良質のエディションを作ることは、教授・指導と密接な関わりのあることを痛感されたらしい。

そう、決意されたとなれば、一途な先生のこと。 シマノフスキーの校訂での経験を活かして、積極的に取り組まれることとなった。そして、着実に楽譜校訂というものの勘所を押さえ、仕事の流れも自ら工夫し、見通しの良い形にされた。

近代音楽の楽譜の校訂は、古典音楽の校訂とはまた違った難しさがある。ブラームス以降のピアノ作品の校訂は、近代和声に関するしっかりとした知識と実践がなければだめだ。ヘンレ版も含め、音楽学者による原典志向は、ことさら資料に拘泥しすぎるきらいがある、と先生はつねづね強調されていた。作曲者が真に意図したテクストの復元ということが、校訂楽譜の作成に当たっての指標であることはいうまでもない。音楽学が築いてきた方法論を援用しつつも、しかし、先生はそうした資料偏重主義を排し、つねに演奏家としての視点を持って臨まれたのである。

 となれば、当然作曲家の固有のスタイル、書法に通じていなければならず、しかも、実際に演奏する際に充分に説得力のあるものにしなければならない。枝葉末節にこだわるよりも、当の作曲家の地点に立って想像力を働かすこと。これは先生の持論だった。そのことは、既に仕上げられた楽譜そのものが

如実に物語っている。