スラマッシアン!
(こんにちは)
今年はじめのある朝突然
『今日から事務所の清掃の女の子に
自宅の掃除も頼むことにした。
あとでそのDさんが来るから。』
と旦那さん。
それを聞いたとき
咄嗟に
なんで?!
とショックで
怒りと悲しさが出てきました。
いつも朝起きたら洗濯
その間に床や猫のトイレ
すぐ散らかる机の上など掃除をするのが
ルーティンだったんです。
片付けるのも
むしろ好きで
おのずとそうしていたわけですが。
もしかして掃除が不十分と思ってたのかな
という気持ちと
それならそう言えばいいじゃん!
という怒り
そしてなんだか
自分のやることを奪われたような感覚になっていました。
そんなことは露知らず
自宅へとやって来た清掃のDさん。
ベッドシーツをきれいに
整えてくれたあと
机の上から床
トイレ
バスルームもモップ掛けまでしてくれて
1時間ほどで
床もピカピカ
いつも片してもすぐ散らかる自宅が
見違えるほど整えられている。
ここはホテル・・・?
めっちゃ居心地いい。
めっちゃ気持ちいい。
Dさんが掃除をしてくれている間
わたしは
どうして
こんなにショックをうけてるのかと
内観していました。
小さい頃から
苦手なものばかりで
苦労が多くて
20歳で社会へでて
最初の職場は1ヵ月で辞め
つぎの職場も数ヶ月しか続かず
自分は社会不適合者のようにかんじていました。
また大人になった自分は
どうにかして仕事をつづけて
経済的に自立していかなければならないと思っていたんです。
かんちがいですが、
精神的には自立してると思ってました笑。
そんな中で
やれば気分が晴れて
結果が目に見える掃除や片付けが
わたしの数少ないスムーズにできて
まわりにも役にたてるもののひとつでした。
雑貨小売業にいたときは
毎日のディスプレイや納品処理で
おのずと整理整頓は研きがかかり
同僚やお客様に喜んでもらえましたし
掃除を含む庶務作業で
収入を得ていた時期もありました。
その根本は
なにもできないから
なにか役に立つことをすれば
自分は存在できると思っているということでした。
ただの掃除ですらやらなくなったら
自分の存在価値がなくなっちゃうと思いショックを受けていたし
素直に嬉しくもなく、
やった!楽できる🎵なんてことも思わなかったわけです。
ですが
整えられた部屋は
自分でやるのとも違い
こんなところも綺麗にしてくれたんだ?
と新鮮で
ワタシ
掃除や
整理整頓が好きと思っていたけれど
ただすっきり整っている空間にいるのが
好きなだけだわ、
と気づきました。
その夜
最後に、
物静かでマイペースなDさんは
猫たちから人気。