また1人、日本の偉大な方が旅立たれました。
小さい頃から、家族でドリフやバカ殿が
大好きで、録画もして何度も観ていた
ことを思い出します。

志村けんさんの悲報を知って、
急速に「死」というものが身近であり、
誰にでも起こりうることなのだと
感じました。

思えば、私は幼い頃から「生きる」ことの
先、もしくは裏側に「死」が常にあるのだ
ということを認識していたのかも知れません。

それは実の母親と妹を亡くしている
ことが関係あるかも知れないし、
自分の生まれ育った家に
何となく居場所がないような気がしていて
いつでも「自分がいなくなれば、、」
という考えを持ちながら生きていたから
なのかも知れません。

特殊な家庭だったし、
兄妹それぞれが家を出てからも
親には特に何も求めてないし、
期待もしていないというか笑

自分達の人生に影をおとした部分は
あるものの、
「親の元に生まれていなければ、
今の私の人生はない」と感謝に変えているし、
実弟が立派に事業を広げて
頑張ってくれている。
それだけで父は嬉しく、
1人の人間として弟の働きを評価して
頼っているようなので、
私はそれだけで嬉しく思います。

「死」があるからこそ、
今をきちんと生きよう。
あれやりたかった、
これやりたかった、
伝えれば良かった、
って残る気持ちで
現世に生き長らえるのは
本望ではない気がするので、
いつでも還れるように
準備をし始める。
それが「生きる」ことなのでは
ないかと思うんです。

精一杯今を生きていることを
全力で表現する。
大事な人に向けて、
出会えた方に対して、
素直な感情を感じたままに
伝え、残していきたいと思いました。

私という人間が存在した証を
置いていく為に。

今、私たち1人1人が出来ること。
生きることを考え、
自分のこれからのことを考え、
不安や焦りよりも、
心穏やかに地に足つけて、
土台を安定させること。

時代は移ろい、変わります。
1人1人がネガティブなエネルギーを
手放し軽やかであること。
生きるエネルギーを高めておくことが
次の時代に必要なのかも知れません。

志村けんさんのご冥福をお祈りすると
ともに、これからもその偉大な功績で
今の日本、世界の情勢が少しでも早い
収束に向かい、笑顔が溢れるように
見守っていて欲しいなと思います。