2020年から小学校での英語が教科化されます。英語の必要性はこの事実から見ても疑いようがないことかもしれません。でも、あえてどうして?ということを考えてみましょう。AIが発達して、この先外国語をマスターしなくても自由にコミュニケーションが取れるようになるとしたら、英語を学ぶのって意味あるの?という問題について考えてみたいと思います。

 

最近では、Googleから同時翻訳をするイヤフォンが発売され話題になっています。英語、いらなくなっちゃう?

 

2045年には完全にいらなくなっちゃうかもね!

 

それまであと28年。

 

うちの8歳の息子はその時、36歳。

やはり、そこまでは待てない。それまで英語が出来なければ多くのチャンスを失ってしまいます。

 

情報を得るチャンス、仕事を得るチャンス、最新の教育を受けるチャンス、自分の考えを自分の言葉で発信するチャンス。

 

現在、そして近い未来では英語は世界の共通語であり、より多くの人とコミュニケートでき、ビジネスをすることができる、必要なツールです。英語ができるかどうかは、あなた自身の価値を左右することでもあります。少子高齢化社会を迎え、人口減少が著しいこの国では、海外からの移民がライバルとなります。東南アジア諸国の人々は、自国で幼い頃から英語を学んでおり、ビジネススキルが高い方が多いのです。この方達と戦うには英語は必須のスキルとなるでしょう。また人口が減少するということは流通するもの、サービスも減少するため、当然外国をマーケットにする必要があります。外国の人々がビジネスの相手として選ぶのは、コミュニケーションのために英語を習得する努力ができる人々ではないでしょうか。もちろん、そのビジネスにおける専門性が大切なのはいうまでもありません。

 

そのような状況の中、私は小さな幼児さんから中学生までの英語学習をサポートさせていただいているわけです。こんなにやりがいのあることはありません。わはは。

 

そして、例え英語が話せなくても完全にコミュニケーションを取れる時代が来たとしても、英語を学ぶことによるメリットは確かにあるのです。

 

言語とその文化は密接に結びついています。

英語を学ぶことは、ただ言語を学ぶことではなく、英語的価値観、考え方を経験することになります。

 

たとえば、日本語を話していると、主語がなくて理解がスムーズにいかない時がありませんか?話している途中に、いったい誰がどうしたんだろう、と迷子になってしまうことがあるのです。そして、それでも通じ合っている人達もいます。聞き直すと、わかんないの?という表情で見られることもあります。

 

別に日本語や日本人の悪口を言いたいわけではありません。むしろ日本語は素晴らしいといつも思っています。

 

ただ、やはり日本人には、同じ肌の色、同じ教育、同じ国籍を持った人が多数を占める環境で暮らす人々が多いため、暗黙のうちに理解し合っていることが多いのだと思うのです。そのため、伝える努力を怠って来たとも言えますし、日本人が協調性を重んじてきたことの表れとも言えます。

 

また、日本人の主体性のなさが、主語が消えてしまうことに現れているような気もしています。私がチョコレートを食べようとあなたがチョコレートを食べようと同じようなもの…いや、違うだろ。

私が30分ジョギングしようと、息子が30分ジョギングしようと同じようなもの…うんうん。いや、違う。

 

しかし、この世界は曼荼羅のように同じ形のもので形成されていて、フラクタル構造になっている、と私は考えています。

 

私が嬉しい気持ちならば、まわりも嬉しくなる。

私がひとつ我儘さを捨てれば、まわりもひとつ我儘さを捨てる。

そういうふうに出来ている、というのが東洋的な考え方だと思うのです。

自分は神様的力の一部であり、また自分が変わることで、まわりを変えていくことができる、という感覚です。

 

そして、それとは全く違う思想のもとにあるのが英語です。

 

なぜ主語の後に動詞?

 

これは行動を重視する考え方に基づくものかもしれません。もっとリサーチすると面白い分野ですが、今は私はこのことに興味がないのでおいておきます。

 

なぜいちいち自分の意見の理由を述べなきゃならないの?

 

日本人なら、いちいち理由つけてるのは野暮よね、という場面がけっこうあります。理由を聞くのは失礼な感じがあることもあります。

 

でも、why?と疑問を持っていくことで初めて見えてくることがあります。自分のたどった思考を明らかにしたり、またそれを話すことによって新しい視点を得られるかもしれません。常に自分なりの意見を掘り下げ、自分自身を高めていく、それが当たり前の文化なのだとおもいます。

 

面白いなと思うのが、

欧米ではキリスト教的考え方が根づいていて、神と私、というものがしっかりとあります。そして、自分には変えられないことがある、どうしようもない現実がある。だからこそ、自分を高め、変えていける自分を作り上げる、そんな意志を感じます。

 

カッコいい〜。

 

英語を学ぶことで、そういった自分の持つ文化とは違うものに触れていく、そういうダイナミックな経験をしていく、入り口に立てるのです。

 

他の言語を学び、他の文化に触れることで、初めて日本のことがわかる体験をできると 思います。日本の危ういところも素晴らしさも。

 

東西の両方の素晴らしさを持てたら、無敵だね!

すぐに経験値を積みに出かけよう。

 

ゴチャゴチャ言ってないで(o^^o)

さあ今すぐ英語を始めましょう!!!

 

結局結論はこれでした。わはは。