こんにちは、
真実の愛を伝えるセラピストHitomiです。
今後のHitomiの活動については
前回のブログでお知らせしたように
大阪ほしよみ堂のオーナー占い師
中臣ひとかとして尽力したいと
思っています。
とは言え、
何故、1人で独立しなかったのか?
何故、ほしよみ堂のフランチャイズなのか?
という問いを既に頂いたので
こちらでお答えしようと思います。
まずは何故1人での独立ではないのか?
最初はいつか独立するなら
自分のお客様を大切にできる
個人でお店を持つそのスタイルだろう、
そのスタイルがいいと思っていました。
私の占い師になるまでの経歴は
自宅サロンや整骨院内で
アロマセラピストをしながら
心のケアとして占術も学びことになり
鑑定もさせて頂いていました。
占いの奥の深さに、占い自体は
一生勉強しながら実践あるのみと
思っていたら。
当時、占いの館キセキが占い師さんを
募集してて週一回でも所属できるって
お話をお仲間に頂いたことがきっかけで
キセキの所属を決めました。
ですが占いはあくまでもツールであり
私の役割はご縁の方が自分らしく生きる
ことのお手伝いをすることなので
館に属してからも
自らセラピストと称し癒すことに
重きを置き対面鑑定を重視して
活動しました。
なので占いサイトに、
恋愛で当たる占い師と掲載されたのを
初めて知った時には驚きましたね。
どこかで真面目にやってたら
目にみえない存在達が
味方してくれてる!と喜んだものの。
(天使や守護霊の存在信じてます)
占い師という自覚も薄く…
恋愛に特化したつもりも
当てることも意識したことが
なかったから。
占いに求められている
イメージってそうなのかって(笑)
その評価は、案の上、
お客様は更に増えました。
が、
その逆のアンチのお客様や
同業者の嫌がらせとか、
そんなサイトまでもでてきたり。
このブログにまで
変な書き込みがあったりね。
アンチがでてきてこそ
不動になれるとか…
そんなことはどんな世界ににも
よくあることだと理解しつつも。
その一瞬一瞬に全く戸惑いが
なかった訳ではなく。
占いに携わることが情けないというか、
虚しくなるというのかな。
目の前のお客様に常に真摯に
向き合うことのできる環境が
あることには感謝もしつつ。
占いの館に所属する煩わしさ
を感じることは多々ありました。
そんな中、去年2月、子宮筋腫、
子宮全摘出手術のため入院。
病気になり療養期間中に
私の中でこれまでの思いとは違った
新たな思いが芽生えました。
私はそれまで館にこられる
縁のある方を1人でも癒し
愛を感じて貰うことができれば
その方の先には少なくとも
30人の人達がいる…と
愛が広がるイメージを持って
活動していました。
ですが病気になると全てが
止まってしまう現実に
自分一人の力でできること
というのは微力だなと
正直限界を感じたんですよね。
同時に自分と同じ志しのある仲間を
集うことの意義や、
これまでの私の経験をいかすには
仲間を育てることにもあるのかなと
思うきっかけになったというか。
病気を機に、
もしも独立したとしても
1人では意味がないと
思うようになっていました。
そんな思いに気づきながら
復帰後はキセキの出演日は増やさず
ホテルでの個人鑑定や個人セッションに
力を注ぎました。
セッションではヒーリングを
させて頂くだけでなく
ヒーリングやチャネリングを教えるなど
人を癒すことが使命である方々の資質に
気づいて頂くことや、
その能力を開発、強化するような
お手伝いをさせて頂く機会が
増えていきました。
その機会は改めて私自身が
ヒーリングと向き合うこととなり、
ヒーリングやチャネリングを伝える際には
その手法やテクニックよりも
そのマインドの方が重要であること、
ヒーリングの手法を伝えるならば
現実という社会に適する形でないと
意味がないとさえも感じるようになり。
どうすればヒーリングを学びたいと
志願する仲間達が
現実という社会で活躍できるのか?
を思案するようになりました。
そして辿りついたのが
ヒーラーマインドを大切に
占術を使いこなせる仲間を
育てよう!
その仲間達が実践、活躍できる場を
いつか私が創ろう!でした。
その思いが明確になったのが
去年の10月頃。
その頃のブログにも
私の思いの変化は綴っていて
その時の閃きは、場所は関東!
だったんですよね。
で…この関東!という閃きが
ほしよみ堂との縁に繋がることに
なっていくのですが。
長いので次回へ続きます。
読んでくださってありがとうございます。
今日も皆様の愛の種が元気に育ちますように🌸