あれから…10年
あの日、私は東京都武蔵野市のマンションで強い揺れを感じた
二男(中3)は、幸い帰宅していたが…
長男(高3)は、クラスの皆とバスでキャンプ場に向かっていた🚌
茨城県‼️あと少しで、あの崩落した鹿行大橋を渡るルートだったと、後に知らされた
彼らは、BBQの材料を購入したスーパーで地震発生
宿泊先と連絡は取れたが、ライフラインが使えないから『こちらへは、来ない方が良い‼︎』と言われ
その場から引き返し東京に戻って来たのだ。
勿論、高速も大渋滞🚌
食べれる物は、プリッツとマシュマロ少し
皆で、ちょっとづつ、ちょっとづつ分け合い(大半は、生肉)
勿論、トイレも無い‼︎草むらで用を足した
朝方、無事ようやく都内に辿り着き
今でも心友のお寺で、全員、食事を頂戴し仮眠を取らせて貰えたのだ。
彼のご両親にも運転手さんには、本当に感謝しかない🙇♀️
(高校3年生の男女30名程、もう卒業式を待つだけの楽しくて仕方無い時期、ワイワイガヤガヤ相当うるさかったことでしょう)
こんな連絡も中々繋がらなかった
この日の夜のことが、私の記憶から消えている
長男の顔を見るまで心配で、眠れなかったからか⁇
思い出したく無いからか⁇
東京で、家で布団で眠れるのに…
被災地の方々の心の痛みは、計り知れない…
今も尚、行方不明者が2,500名以上いることにも
本当に、胸が痛む
天災は、残念ながら防ぎようが無いが、日頃から備えておくことは出来る。
だが…ただ物を買い揃えるだけでは、意味が無い‼︎
ある物を、どう工夫して使うかも大事だと思う。
2日後に、行ったスーパーの光景が恐ろし過ぎて本当に日本だろうか⁇と悲しかった
つ.づ.く
〜花は咲く〜
PS:この時、主人はSingapore単身赴任中🇸🇬でしたので…
余計、子供達に何かあったら⁇と感じていたのでしょう。