女というもの の自由
女というものの幸せ
生きる矛盾 圧力
子供を生まない、生んでいない罪悪感というものを
感じることは自由や幸せはあまい砂糖のような
一瞬で溶けて流れる。
そのほとんどがたとえば労働にまみれた。
働かざるもの、食うべからずならぬ
産まざるもの、ほかに選択した
こんな閉塞感を感じている。
どのように見られているかを重要視しはじめると広がるものも
狭くなる。どうしたいの?と優先すると非人間のように云われる。
ひとと同じことがそんなに正しいのか?
ひとと違うことをなぜ大事にできないのか?
忍耐のみに生きる自由は派生するのであれば
耐えられないなら生きられないのか。
耐える以外に道はないのか。耐えないことがなぜ悪いのだろう。
耐えて得る自由と最低限の労働から得る自由、
個人が満ちていれば同じなはず?
耐えて、慣れることが何かを生み出せるものなのか。
耐えて慣れても何かを生み出せたら、とても素敵だ。
しかし耐えることは退屈でとても骨が折れる。
リズム感さえあれば、季節を感じていられるように、
憧れたってよかろう。