目を開くといつもの天井が歪んで見える。頭が熱く重い。
解熱剤が切れてきたのがわかる。高熱のせいか、脳みそが泡立ってこめかみあたりでふつふつと震えているようだ。
目が覚める前に淫靡な短い夢をみた。それは、いつかの暑い夏で、誰かに連れて行かれた古いアパートの板間に腰掛けて、ガラス戸の向こうで仲間が騒いでいる声を聞きながら、女と二人、暗い台所に居た時のこと。




「お腹が減ったね。何か食べたいな。どう?」
「ああ、しかし、だいぶと飲んだみたいで、食べたら気持ちが悪くなりそう。俺はイイよ。」

女は立ち上がって台所の戸棚や冷蔵庫を開けて、うー。と言う。随分と酔いが回っているらしく、椅子に腰を打ち付けたり、開いた扉に頭をぶつけたりしていた。
「あー、こんなの見つけてしまったー、」と、へべれけの女の手にはテキーラ。たぷんたぷんと音がする。
「振ったら危ないよ。こっち持って来る時転ばないよう気をつけて。」何度か唸った後、そこいらに手を付きながらふらふらと戻ってきて、女は俺の横にドスンと薄い尻をおろした。
「ねえ、ちょっとやって見たいことがあるのぉ!」女は頭を90度に傾け俺をニヤニヤ見る「脱いで」「え?」酔いがひゃっと退く。「脱いでってば、上の服」うふふふ、と言い終わると女も着ていたキャミソールを脱ぎ出す。浮き上がる肋骨。小さい胸に三角形が二つ張り付いている。
「なんで君も脱ぐんだよ」一応聞いた。
「なんか、脱ぎたくなるじゃん、暑いし」女のふわつく目線が喉元に当たる。
「それより、腕、肘を内にして、こう、鎖骨を出して」
女に言われるまま前にかがんで肘を伸ばし前を見る。台所には薄く月の光が差し込む。シンクが鈍く銀色を放つ。
「さあ、いらっしゃいましたね〜!行きますよー!」女はキュルキュルとテキーラの蓋を開ける。そして、なんと俺の鎖骨に注ぎ出した。
「えええ!これ、どうすんの!動けないよ!」抵抗も虚しく鎖骨に注がれる液体がべとつく胸に流れ伝う。
「あーん、動いちゃダメだよー!こぼれちゃうじゃん」女は急に瓶の底を大切そうに抱え俺の両肩のくぼみに再び酒をそっと注ぎ、蓋をし満足そうに腕を組み、それを眺めた。
「ふっふっふ。それでは、いただきます♡」
女はそう言って、俺の体にしたたる水滴を舌でなぞろうとうずくまった。背中に浮かぶ骨が白い蛇のように形を変える。
俺は体を硬直させて、冷めていく頭で投げ出された女の平たい足裏についた髪の毛の気持ちになろうとした。
この女が、なぜ俺の鎖骨でテキーラを飲んでいるのかはわからないが、誰かに踏まれた髪の毛の事は分かる気がした。
女の生ぬるい舌先が首筋を這う。髭を進む。鼻に入る。また頬に戻り、「もう、お酒、無い」と目が合う瞬間に目が覚めた。

どっから何処までが本当だったかは思い出せないし、今思い出すこともないだろう。トイレに行こうとベッドの淵に座った時、フローリングの上に転がった俺の陰毛を見つけたが、あいにく、それには何も思わなかった。

窓を開けると芝生を抜ける青い匂いのする風が吹いた。ショーンはアトリエにそそぐ朝日を見ているのが好きだった。窓際に置かれたガラス瓶や陶器の花瓶に光が

反射している。

 

ノックの音がした。

 

「ショーン、ちょっといい?時間はとらせない」

 

マットだ。同じ油絵科の学生で、ここのところよく話すようになった。

 

「今来たところだよマット、扉は開いてる。」

ショーンは振り向いてできるだけ落ち着いて言った。

 

マットは踵をコツコツと軽く鳴らしアトリエをゆっくりショーンの方へ進む。

 

「ねえショーン、いいかい?僕は気づいたんだ。

自分のことしか書けないのは素人のすることだって。創造物っていうのは作り手の

意志をもって筋書きがあることをいう。つまり、AをそのままAと伝えてもそれは

報道しているだけで作品ではないんだよ。」

 

ショーンは突然の事で面食らった。

あのマットがわたしに話してくれているというのに!

 

「作品には作り手の意志があるとしても、それを受け取るのは見た人でしょう?

そこまで管理されたものはわたしは窮屈に思えるんだよ。君の言わんとすることは

分かるけども、君がわたしの作品を見て言ったならわたしは例外なく傷ついてる。

わたしの書いたものは明らかにわたしそのものだからだ。」

 

ショーンはマットの顔をまっすぐみて伝えた。怒っているわけでも悲しいわけでも

なかった。ただ、そのまま、思ったことを伝えた。

 

「おお、、マット。傷つけたかった訳じゃないんだ。僕は僕なりに表現について

考えたんだ。きっかけはどうでも、作品が完成した時点でそれは

受け取る側のものになる。その時点で作り手は作品に対する責任から

逃れられる訳ではないのに。」

 

「つまり君は作品と製作者と受け取る側との関係性が明らかだと言いたい?」

 

「そう、それは紛れもなく明白な事実として存在する。そしてそれらは独立したまま決して交わらないんだ。それぞれの思いはそれぞれの思いとしてただそこにあるだけ。そんな事を君の作品から感じたんだ。」

 

「なんだかよくわからないけど、君に何かをもたらせたのなら、

わたしはわたしの作品とわたし自身をとても誇りに思うよ。

誤解を恐れず伝えてくれた事を感謝する。」

 

するとマットはハッとした様子で時計を見ると慌てたように言った。

 

「おっと、ショーン、悪いが行かなくちゃ、クラスの前に先生に質問があったんだ!話を聞いてくれてありがとう。こちらこそ、感謝してる!また午後に!」

 

そう言ってマットは廊下に飛び出して行った。

 

ショーンはアトリエで再びひとりきりになった。

 



大気が乾いている五月の太陽は、真夏とは違う色をしている。




街中の木々は新芽のイエローグリーンをまとって薄い葉を揺らす。




それに、湿気の少ない短い期間、昼間の穏やかな陽気と冷たい風がなんとなく寂しいところがいい。

真夏はもう息をしているだけで立派みたいに錯覚してしまって、よくない。

つい、疑う事を忘れてしまって、うっかり夏季限定の恋人なんか、作ってしまう。

海に入るころの私たちは、おそらくほかのどの季節よりもよく笑う。

夏の仲間の集まりも発散を目的としているから、よく繋がる。

長く続いた冬の終わりや絶望的な春の夜などに、

いつも決まって真夏の太陽光線が恋しくなってしまうのは、きっとその『残像』のせいだ。




そして太陽は季節で顔を変えたりしない。

変化があるのはいつだって、私たちのコンディションや体重や気分なのであって、

決して太陽は自由に形を変えられる訳ではない。




それなのに五月の太陽は、「七月の太陽」の影も無いが「七月の太陽」には冬の寒空を思い起こす。

なぜだろう。

寒さと暑さの反する感覚が、今の実感をより濃いものにするから、

何度となく時間と季節を行き来して、それらは離れ離れになりにくい。

時間にも不思議なところがあって、

夜と朝の時間に、どちらも長短が無いはずなのに、長い夜は冬でも夏でも重たくって疎ましい。

(夏のほうが、夜は短いのに、だるさの密度はまるで同じなのにも呆れてしまう。)




夜には朝を思うが、朝に夜を忘れるように実体験はいつも軽く時間を飲み込んで、

太陽の示す季節感だけが私たちに向かって、いつも圧倒的な立ち位置を留める。


五月の太陽はいつも新しくそんな事を思わせる。