【50回記念特別企画】AnB ぷれみあむぅ シリーズ・イベント史1(開催前史~芝浦時代) | ヒトデ大石のなんとなくレポート置場

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2011年8月「ヒトデ大石のどんなブログにしようか検討中。」からタイトル変更。
ライブイベント、舞台観劇のレポートを中心に書いていこうというブログ。
以前はmixiが主戦場だったけど、今はこっちが主戦場(笑)

さて本日から「第50回イカすアキバ天国」「ぢゃ☆ベストテン vol.50」前日の5/20まで、毎日連載を続けるこの企画。
 
そのほとんどが明後日以降の「出演者列伝」に割かれる事になりますが……。
まずこのイベントの成り立ちから、簡単におさらいするところから始めたいと思います。
 
●開催前史/2007年以前
 
現在の「AnB ぷれみあむぅ」シリーズは昼の「イカすアキバ天国」、夜の「ぢゃ☆ベストテン」に別れているのは周知の通り。
しかしこのイベントには前身のイベントがあった事をご存知だろうか?
 
そのイベントの名は……「AnB ぷれみあむぅ?」
現在も「イカすアキバ天国」、「ぢゃ☆ベストテン」の前に「AnBぷれみあむぅ presents」と頭につくのは、このイベントの名残なのです。
 
まずこのイベントの成り立ちから説明すると……。
主宰・FICEが結成直後から行っていた主宰イベント「AKIBA net BANK」(通称:本編。現在の「Aey!ney!Bey!MUSIC JUMP」の前身)のプレミアム的な位置づけとして2006年5月に開始。
以後、本編が偶数月第三土曜日」開催だった事から、このイベントは奇数月第三土曜日開催となり、その流れは現在に至っています。
 
出演者は「AKIBA net BANK」主宰・FICEとゲスト出演経験者のみで構成されるという、まさしく「ぷれみあむぅ?」と呼ぶに相応しいメンバーで構成されていました。
その出演者は……
 
・FICE
・桜川ひめこ
・もふっと。
・いちご姫withいちごダンサーズ
・とろ美
・桜ふみ
・おだちえり
・田川まゆみ
 
上記の計8組。これに加え、当時は田川まゆみと、あをいちんの「司会~ず」が司会を務めていました。
当時のインディーズアイドル界隈を代表すると言って過言ではないメンバーが集結。回によって、一組、二組の欠席はあれど、大体このメンバーで進みました。
ちなみにこのイベントは投票制という事はなく、出演者がほぼ固定しているという以外は、至って普通のライブイベントでした。
 
そんな「AnBぷれみあむぅ?」に大きな変化が起きたのが……2007年11月。
翌年、2008年から昼の部「イカすアキバ天国」と、夜の部「ぢゃ☆ベストテン」の二つのライブイベントに別れてリニューアルする事を発表!
そして投票制への移行が発表されました。
 
実はこの時、プレ投票が現在と全く同じ投票システムで行われており、この時の投票結果が翌年の「ぢゃ☆ベストテン vol.1」で発表されています。
この時点で昼の結果は当日発表、夜の結果は翌回発表(現在では11位のみ当日発表)の流れは基本的に出来ていました。
 
この時、プレ投票の対象となった、上記8組の出演者が、当初から夜の部「ぢゃ☆ベストテン」の出演資格を得ていました。
しかし……その8組のうち、桜ふみ、おだちえり(後に改名し、小田ユウ)の2名が参加を辞退。
また当時「司会~ず」で司会兼任だった田川まゆみが、司会専念のため出演者としての参加を辞退。
 
上記3組を除いた5組……
 
・FICE
・桜川ひめこ
・もふっと。
・いちご姫withいちごダンサーズ(後の、悲しみいちご商会)
・とろ美
 
……この5組が記念すべき「ぢゃ☆ベストテン vol.1」のメンバーとして名を連ねる事となりました。
そして一番最初から「ぢゃ☆ベストテン」に名を連ねた5組を、当方では尊敬の念を込めて「オリジナル5」と呼んでいます。
(元ネタはJリーグ用語の「オリジナル10」から)
 
●四谷時代/2008年1月~2009年3月

※ここから先、特に注釈がない限り「第○○回」と表記する場合は「イカすアキバ天国」、「vol.○○」と表記する場合は「ぢゃ☆ベストテン」の事を指す事とします。
 
2008年1月……こうして産声を上げたAnB ぷれみあむぅ シリーズ「イカすアキバ天国」、「ぢゃ☆ベストテン」。
会場は「AnB ぷれみあむぅ?」時代から引き続き、四谷Live inn Magicが使用された。
 
イベントの黎明期らしく「ぢゃ☆ベストテン」では前述の「オリジナル5」が戦いの中心。
vol.1でFICEが初代王者に輝けば、vol.2で後に2008年年間最多勝(年間4勝)を獲る桜川ひめこが2代目王者に君臨。
vol.4ではとろ美が3代目王者になるなど、優勝戦線は「オリジナル5」が占めた。
 
一方「イカすアキバ天国」は、まだ業界全体が投票制そのものに馴染みが無い事もあり、客層に戸惑いがあった感は否めず。
またこの時期、出演者が今の7組ではなく、6組(回によって5組)で推移する事が多く、四谷時代は多くの回で6組での争いが多かった。
 
2009年3月にLive inn Magicが工事期間に入るのをキッカケに、会場移転が決定。
四谷Live inn Magic、最後の開催となった「ぢゃ☆ベストテン vol.8」で、この回限りで卒業するぷちきゅ→が初優勝。
4代目王者になると共に、初めて「イカすアキバ天国」の優勝者(アキ天キング)が「ぢゃ☆ベストテン」を制する結果となった……。
 
●芝浦時代/2009年5月~2011年5月
 
移転先は当時「AKIBA net BANK」(本編)が偶数月に開催されていた芝浦StudioCUBE326に落ち着いた。
以後、次の会場移転まで本編とAnB ぷれみあむぅ シリーズは同会場での開催となる。
なお急な移転だったため、芝浦移転後初回だった第九回、vol.9は珍しく奇数月第四土曜日での開催となった。
 
新会場に移ったAnB ぷれみあむぅ シリーズ……だったが、この頃、深刻な問題を抱えていた。
 
2009年……「ぢゃ☆ベストテン」の出演者減少問題である(通称:ぷれみあむぅ冬の時代)
 
この頃「ぢゃ☆ベストテン」の出演者にイベント卒業が相次いだ。
四谷時代でも、前述のぷちきゅ→を始め既に2009年に入り3組が卒業していたが、移転後、その流れが更に加速する。
vol.9で5代目王者に君臨したラブニポポンが翌月解散のため卒業……同じ回で前年最多勝・桜川ひめこが卒業……。
……などなど……連続欠席の末卒業、昇格即卒業、年始に勝ったのに年末に卒業……と相次ぎ、なんと2009年だけで9組の卒業!
「イカすアキバ天国」で勝ち抜く人数よりも、卒業する人数が多いという、まさに「冬の時代」に突入してしまっていたのだ!
 
今では考えにくい光景だが、当時は「ぢゃ☆ベストテン」の方が「イカすアキバ天国」より客の数が少ない事も多々あった……。
 
しかし一方「イカすアキバ天国」はどうだったかというと……反比例のように活況を呈していた。
これまで回によって変動があった出演者の数もこの移転後、現在と同じ7組に固定されている。
記念すべき芝浦移転後、初の第九回で優勝した荻上トモは、同年年末に「ぢゃ☆ベストテン」6代目王者となる。
更に第11回には、翌2010年にこのイベントを席捲する事になるnoisyが勝ち上がっている。
 
翌2010年……「ぢゃ☆ベストテン」ではnoisyが史上初の初ランクイン初優勝を飾り7代目王者、そして年間5勝を上げて2010年年間最多勝を獲った!
(未だにこの年間5勝という記録は誰にも破られていない)
そして「イカすアキバ天国」からは後にこのイベントを支える唯×実~ユイみの~(後の、YUIMINO)、美弥乃静らが優勝。
早々にイベントを卒業してしまったがToLady、後に別路線で華開くSplash!!なども勝ち抜き、「ぢゃ☆ベストテン」は彼女ら新興勢力の台頭で勢いを取り戻しつつあった……。
そしてこの年の9月……第17回にてこのイベントを長く支える事になる、大和撫子が勝ち抜く!
 
大和撫子は翌2011年、史上2例目の初ランクイン初優勝で8代目王者に君臨!
この頃「イカすアキバ天国」にも、未だ勝ちあがれないが実力を備えた出演者が控えており、かつての「オリジナル5」の時代から、完全にアキ天キングたちが頂点を目指す「ぢゃ☆ベストテン」の様相をこの頃から呈していた。
「ぢゃ☆ベストテン」の新時代到来……と誰もが思った矢先、その日は突然訪れた……。
 
 
 
東日本大震災
 
 
 
……約8年半に渡るイベントの歴史の中で……唯一、AnB ぷれみあむぅが行われなかった、2011年3月……。
 
誰もが悲しみに打ちひしがれた中、それでも立ち上がったのは……このイベントを中心にした有志たちでした。
 
第20回、vol.20が行われる予定だった3月19日、STUDIO CUBE 326 presents『東日本大地震 緊急チャリティライブ』を開催。
本来であればこの日、それぞれのイベントに出場予定だった出演者たちが一同に会し、歌を歌い、そして我々客層を勇気付けてくれました。
 
いつもはこのイベントでは競い合っている出演者たちが、共に手を携え、困難に立ち向かったあの日……。
 
決して忘れられない一日となりました。
 
……その後、2011年5月に順延となった第20回、vol.20が開催。
この開催が芝浦StudioCUBE326での、最後の開催となりました。
 
そして戦いの舞台は神楽坂へ……!
 
 
 
~翌日に続く。