ブログ書いてたら、消えた
ぜんぶ消えた


とりあえず、サファイアね
宇宙が存在する前提に、認識する行為の主体があるわけですよ

認識する存在がいないと、宇宙は存在しえない


さて、私らは川越CLEAR'S の成宮ももさんを知っている
成宮ももさんが可愛い

しかしそれは、成宮ももさんを認識する行為の主体があってのこと
こぉ考えるとわかりやすいね


サファイアが輝く

サファイアをサファイアと認識する行為の主体がいない場合、サファイアは泥岩になりえる

泥岩を認識する行為の主体がいる場合、泥岩はサファイアになりえない


幸せには、不幸を内在する
可愛い女の子は、ブスを内在する
パンダは虎を内在する、ペンギンはアリゲーターを内在する
すべては相対的だから

かといって、サファイアがそれ自身、サファイアとして存在する可能性も、ある

認識する行為の主体が前提なのは変わらないんだけど
そんな前提は、なぜ前提なのか?
前提それ自身が相対的じゃないか‼


サファイアが相対的で、泥岩が相対的な存在だろ


宇宙は相対的で、行為の主体があってもなくても
なにしろ行為の主体が相対的なんだから


成宮ももさんが可愛いとする
「へーい」とか、萌えるとするじゃん?
この場合、成宮ももさんは、主体的に存在するわけ
だが、認識存在(ヲタク)がいないと、「へーい」に『萌え』が付随しない‼


わかりやすいね


さっきね、そのはるか先のところまで、思考は進んだのですよ
つまり、まあ、あらためて思考が整理ついたら書きます


不幸なヤツは、幸せってことです