2025年
家族の備忘録
やはり
夫の病気が中心にあった
1年間だったので、
話します。
2024年10月に
夫の病気が見付かり
私たちの人生は一変した。
夫の病気が分かってからの
この1年間は
様々な心境の変化や
全く心境の変化の無い、辛さや
楽しいことも
嬉しいことも
もう
感情のオンパレード
だったかな。
中でも
一番辛く
私たち夫婦を苦しめたのが
2024年、去年の12月、
夫の両親と私の母親に
夫の病気の話をした日の
夫の両親の態度で、
その後の、この1年間
私たち夫婦を苦しめ続け
傷付いた出来事でした。
本当に、様々なことがあった。
ご両親なのに……
実の息子に対して……
夫の両親は
私の夫を、深く深く、傷付けた。
夫とご両親は、子供の頃から
お父さんとは、大きな確執があり
お母さんとも、それに付随する問題があり、
親子の在り方は
本当に様々なのだと
私も、夫と結婚し、多くを学んだ。
あの
感情表現を余りしない夫が、
病気になって、俺は二度、殺された
一度目は、診断を受けた時
二度目は、親父とお袋に会った、あの日
と、涙を流し
私に、言った。
こんなにも、悲しいことは、無いです
それなのに夫は
俺はいい、○○を傷付けた親父とお袋が許せない
と、私を想い、悲しんでいて
私も同じで、自分はいいけど、
お互い、相手への想いを深く知る、出来事でした
病気のことも
ご両親のことも
夫が一番辛いのに、
夫はこの1年間
家族の為に、懸命に働いてくれた。
でも
今年の10月
仕事に関する夫の問題で
夫の会社の社長ご夫妻に
私たち夫婦は呼ばれた。
社長ご夫妻は
誤解されてるとこもあったけど
ある程度は、分かられており、
様々な状況の中から
病気の全てを、お話することとなり、
重要なポストは外れましたが
このまま仕事を続けれることとなり、
それどころか、
例えば現場の監督の仕事なら
2番手の立場として指揮に立ち、
夫の好む、現場仕事も
進んで行けており、
全てを会社にお話し
色んなことが良い方向へ
進み出しました。
社長さんが、最後に仰った言葉で、
○○、病気は恥ずかしいことじゃないんだぞ、一人で抱え込み過ぎだ、これからは何でも話して欲しい
私たちは涙を流し
深々と、頭を下げた。
社長ご夫妻に会いに行く車中
私たちは、とても苦しかった。
その空気をどうにかしたくて
私は夫に、
もしダメでも、大丈夫だよ。私もしっかり働くし、○○ちゃんも仕事また見付けて、ふたりで頑張ろう!大丈夫だよ!私、結構頼りになるよー
と伝え、
夫は少し、笑ってくれた。
2025年10月29日、水曜日
勇気と覚悟で、挑んだ日。
帰り道、私たちは
心底、ホッとしていた。
美味しいお肉を
ふたりで沢山食べて
ふたりで沢山話して、
延長保育にしていたあーちゃんを
幼稚園へ迎えに行った![]()
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夫はあの日以降、
毎日忙しくなっても
以前より、生き生きと働いている。
全てを話し、理解を得て、
仕事に打ち込める、50代
病気でも、なんでも
いい感じだと、私は思う。
この1年間
身近で、様々な状況を見てきた私は
今の夫は、良いと、感じる。
病院の定期検査の結果でも
以前より良い数値になったりと、
会社での理解を得て
少しずつ、良い方向へ
流れ出したと思えた
私たち家族の、2025年でした。
また
私の方でも、心境の変化というか、
夫の病気を知り1年が過ぎ
ようやく覚悟を決め
受け入れれたのか、
一人の友人にだけ
病気の全てを、お話することが出来ました。
この、12月の出来事です。
友人は
静かに、私の話を、丁寧に
聞いてくれた。
この1年間、私は
病名を口にする勇気すら、無かった。
友人に全てを話せて、よかった。
私は、救われた。
夫のご両親のことも
良い意味で、諦めました。
80過ぎの、長く生きてきた方を
こんなアラフィフ夫婦が
変えることなんて、出来ません。
出来っこ、無いのよ。
なので
受け入れ、流し、生きています!!
ある方が、
教えて下さった言葉があります。
親孝行は
親に会う、親に連絡する、ではなく
あなたがより良く生きること
なるべく幸せに生きること
勿論
仲の良い親子でしたら
理想ですが、
そうではない親子も
世の中、ごまんとおり、
夫は長年
そんな中でも
しっかりと
自分のしあわせを掴みにいく男だと
私は感じている。
上記の言葉通り
夫はしっかり、生きている![]()
(私もー
)
2025年10月
娘の15才の誕生日の日に
写真館で
家族写真を撮影した。
とても良い写真が撮れた。
子供たち3人とも、制服姿なので
こちらに写真は載せれませんが
本当に、撮影して良かったです![]()
ダブル中学生制服![]()
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&幼稚園園服![]()
3人の子供たちの想い出の制服姿で
写真を残したかった。
家族が病気となり
当たり前の日常が
当たり前ではないと知り
今の形を、残したかった
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9年前は
写真館にて
ダブル幼稚園園服![]()
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4人家族で、家族写真![]()
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6年前は
写真館にて
あーちゃんご誕生記念![]()
5人家族で、家族写真![]()
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なにか
特別な気持ちの時に、
私は
家族写真を撮りたくなる、らしい![]()
七五三の時は、また別で
スタジオアリスで撮影をしている![]()
6年前の
写真館にて
あーちゃんご誕生記念
娘
小3
息子
小1
あー
0才3ヶ月
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こんな感じで
この写真館で
今まで、3回
家族写真を撮ってきた
6年前![]()
小1で、チビッコくて
真ん中に立っている幼い息子が
6年後の、2025年の家族写真では
背がスラーっと高くなり
夫とふたり、後ろに堂々と立ち
家族写真に、映っている
2025年
息子
私の身長を抜いた年
ありがとう
息子
2025年の家族写真は
新たな我が家のスタートに
私は、思えた
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以前
私の妊活事情を書いており、
その、あとがきで↑紹介した
おじぞうさまが
今年の3月、いなくなってしまった。
夫の病気と重なり
私は、悲しすぎて
とても辛かった。
そう
夫の病気を知らされた翌日の朝も
あーちゃんの幼稚園バスを見送って
私はその足で直ぐ
おじぞうさまに会いに行き
おじぞうさまの前で、ひとり号泣した。
その後も
私の心のよりどころであり
私の支えであった、おじぞうさま。
でも、急に
ある日突然です
おじぞうさまは、いなくなった。
もう、おじぞうさまに会いに行けないんだ
もう、おじぞうさまにお祈り出来ないんだ
もう、未来なんて、ないのかな……
すると
今年の5月
新たな形で
おじぞうさまが
また、いらっしゃった。
私は
心の底から、喜んだ。
そしてまた
おじぞうさまの元に
通わせて頂いている
2025年です。
2025年5月
一度だけ、家主さんにお会いできた
お祈りしている私に、お声をかけて下さり
自己紹介と、おじぞうさまについてのお話と
私にお礼をお伝えして下さった
お礼を伝えるのは、私の方ですと、私はお話した
その方は、とても素晴らしい方で
私は心洗われ
またお会いできたら……
と、願っているのだけど
その後、一度も会えてはいない
あのお方
おじぞうさまだったのでは……
と、私は密かに思っていたり、している^^
2025年
振り返ってみれば
良い一年、だったのでは?
と、感じられるようにまで
なりました![]()
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昨日、12月30日
夫とふたり
とあるところで
ハジケたぞ![]()
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ここは何処でしょう![]()
最高でした![]()
とても良い
2025年の締めくくりが
夫と共に、出来た気がします。
皆様
今年もありがとうございました
来年も、仲良くして下さい
良いお年を、お迎え下さい
2025年12月31日









