昨日、ある出来事があり、改めて感じたことがあります。
 
 

誰かと何かを一緒にやる(やり続ける)とき、怠ってはいけないことは、《相手を理解する努力》と《相手に理解される努力》です。
 
 

特に身近な存在、例えば、夫婦、恋人、親と子、上司と部下、ビジネスパートナー間でです。
 
 

私の経験則と今まで失敗した人たちを見ると《相手を理解する努力》と《相手に理解される努力》のバランスに偏りがある、もしくはその努力を放棄したことが原因だと感じています。
 
 

このバランスの偏りと努力の放棄は、短期的には我慢できるモノですが、長期的に積もり積もっていくモノであり、気づいた時にはどうしようもないぐらい大きなモノとなり、相手を受け入れることが生理的に出来なくなります。
 
 

そして、結果、「これ以上あなたとやっていけない」となり、パートナーの解消に繋がります。
 
 

こんな事例を、私は山ほど見てきまし、こんなにも心苦しいことは他にはないです。
 
 

だからこそ、誰かと何かをやると決めたとき、必ず継続的にやって欲しいことは、《相手を理解する努力》と《相手に理解される努力》を決して止めないことです。
 
 

このバランスは50%ずつが望ましく、【少しでも偏りが出たなら】、その時にすぐに修正しなければなりません。
 
 

この【少しでも偏りが出たなら】のときに、お互いが思うことがあれば、違和感があれば、シッカリと伝え合うことです。
 
 
 

「【少し】だから、相手は我慢してくれるだろう。。。」と相手に甘えてはいけません。
 
 

「【少し】だから、私が我慢すれば良いか。。。」と今思う素直な感情、違和感を相手に理解してもらう努力を怠ってはいけません。
 
 
 
この時の正しい考え方はこうです。

 
 
「【少し】のズレのときだからこそ、相手に確認を取り、相手が何を感じて、どうしたいのかを理解しよう!」 
 

「【少し】のズレのときだからこそ、私が今感じた違和感、我慢を相手に伝え、どうすれば良いかを一緒に考えてもらおう!」
  
 

《相手を理解する努力》と《相手に理解される努力》を常に50%、50%に保つことです。
 
 
 
長期的に誰かと何かをやり続けるためには、偏りがあっては、必ず何処かで破綻します。 
 
 
 
この2つの努力が双方、大切になるのです。 
 
 
 
そして、これは日頃からの習慣によって作られるモノです。 
 
 
 
「この人と一緒にいたい」「この人と一緒に何かをしたい」その時の想いが真実なら、どうか、この努力を怠らず、相手に甘えないでください。 
 
 
 
「気づいたときには、もう取り返しがつかなかった。。。」
 
 
 
そのような人たちが少しでも減りますように。。。


 

100人中100人は現実的ではないですが、分かりやすくするためにこうしています。

 

あなたは100人中100人の心を掴む際に、何人の人に心を掴む接し方を意識しますか?
 
 
 
もちろん、その答えは人によってはそれぞれだと思います。
 
 
 
中には、100人中100人全員でしょ!という人もいれば、
 
 
 
半数を超えれば、自然にそういう風な見方をしてくれるだろうから、51人でしょ!という人もいるし、
 

 
いやいや、コアメンバー10人でしょ!という人もいる。

 
 
どれも正解だと思うし、ゆくゆくは100人中100人辿り着くと思います。
 
 
 
でも、私は上記のような選択肢はありません。
 
 
 
私の中にあるのは、一択です。
 
 
 
私はいつも100人中1人に向けて心を掴む接し方を意識しています。
 
 
 
逆説的な考え方ですが、実は、これが1番効果が高く、1番早く全員の心を掴むと、私は今までの経験で確信しています。
 
 
 
何故なら人は、自分が直接何かをされなくても、他人の姿を見て、自分も同じように何かをされたように感じ取る生き物だからです。 
   
 
 
名著「7つの習慣」にも、このような記載があります。
 
 
 
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私は、教師として、また親として確信していることがある。それは、「99人の心を掴む鍵を握っているのは、一人に対する接し方だ」ということだ。

〜省略〜

一人の子供に示す愛情や態度が、他の生徒や子供たちに対する愛情や態度となる。あなたが一人の人間にどう接しているかを見れば、他の人たちも一人の人間として、自分に対するあなたの態度を感じ取るのである。

【7つの習慣】p355〜p356



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この本に記載があるように、あなたが100人中100人の心を掴むには、一人への接し方がとても大切であり、重要であるということです。 
 
 
 
あなたが100人の心を掴みたいのに、そうできていないのであれば、意識が分散しているからであり、そういう状態では、人の琴線に触れるようなことはできません。 
 
 
 
一人の人に真剣に向き合い、大切にする姿に嘘偽りが無いから、その姿が周りの人たちの心を掴んでいくのです。
 



あなたが、目を向けるべきは、皆んなでは無く、あなたが大切にしなければいけない一人の人を大切にすることです。

 

 

 

そこに、人の心を掴む真理が隠されています。


冷たいと思われるかもしれませんが、私は基本相手に期待をしていません。

でも、多くは人に期待しているように思います。

そして、私の経験ですが、相手に期待している人ほど人間関係に不満を持っている人が多いです。

「私はあの人のために、こんなことやら、あんなことやらしているのに、ちっともあの人は私のことを気遣ってくれない。(返してくれない。)」と。

こういう話をよく聴きます(^^;;

ここで今一度確認したいのですが「期待」とはどういう意味でしょうか?

辞書を調べると
「あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。」
とあります。
※ 参照:デジタル大辞泉

ここに私の解釈を加えると
「あることが実現するだろうと(勝手に)望みをかけて待ち受けること。(勝手に)当てにして心待ちにすること。」
となります。

つまり、期待とは、あなたが勝手にしていることであり、相手からしたら、そんなの知ったこっちゃないということです。

でも、多くの人はここに囚われている。

そう、変えられないことに。

私個人としては、期待をかけようがかけまいが、思う通りに動く人は動くし、動かない人は動かない、と思っています。

とすると、私がやることは次の2つに限られます。

・期待した通りのことをやる人と共にする(付き合う人を選ぶ)。

・期待した通りのことをしてもらうために私が出来ることを行い、その確率を上げること。

この2つのことに注力して、つまり、自分がコントロールできることに集中して、あとは、その人に任せるということ。

その後に、どういう結果になったとしても、それは自分の責任であって、全く持って相手の責任ではないという、認識を私はしています。

相手が思う通りに動かないとか、返してくれないとか文句を言う人は、そもそも、あなたがあなたの思う通りに動かない人と一緒にいることを選択している。(価値観が合っていない。)

これがめちゃくちゃ多いです。

そういう人と一緒にいることを選んでいるのはあなたの責任であり、相手に非は無い。

特にプライベートであれば、それは完全にあなたの選択の上での付き合い。

だから、あなたが選択した相手と一緒にいるのに、文句を言うこと自体が、私は違うと思う。

文句を言うなら、その人と離れて、価値観が合う人を探せば良い。

文句は自分にとっても、相手にとっても、良い影響は与えない。

あなたの思う通りに動かないのに、あれこれと尽しても結果は変わらないし、あなたが思う通りに動くような相手であったとしても、その確率を上げるための関わり方を突き詰めていなければ、思うようにはいかない。

期待することが良いとか悪いとかを議題に挙げたい訳ではないが、変えられないことに囚われて、文句を言い続けている人がいたとするなら、視点を変えて、あなたがコントロールできることに目を向けてはいかがでしょう。