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おはようございます。

最近は、保育園とClubhouse(声で交流できるSNS)にはまっていて

そこで出会う仲間や新しい出会いを楽しんでいます。

 

そのSNSの中で、二つの自分で立ち上げたCLUB(部活)を活動しているのですが、

 

1つは、保育を変えるのは私たち

保育や子育て、海外保育士などについてお話しています。

保育を変えたいって思っていても自分なんて小さい声だと

思って何も始められないこともあるかもしれないけれど、

一個人が変わろうと決めれば、必ず一歩ずつ変わっていく

誰かの変化を待つのではなく、自分から変わっていくことを

お伝えしています。

 

 

磐梯町の教育改革に関わらせていただきたく

モデレーターとして呼んでいた抱きました。

 

 




 

 

 

もう1つは、武井壮への道

ずっと尊敬している武井壮さんについてや

いろいろな場面での保育や人材育成などに生かしたい武井イズムを語る中で、

私一人で始めた活動に仲間が集ってきています。

武井壮さんには、このClubの活動は把握してくださっているのですが、

まだ、お部屋には遊びに来られていません。

 

 

 


24時間耐久 イベント 未来の子ども達のためにby 武井壮への道 club

 

 


 

 

 

さて、そんな中で、毎日日本時間夜9:30~開催を続けてきた

武井壮への道の配信ですが、第41回を迎え、

こちらでも是非シェアしておきたいことがありました。

 

パラリンピック陸上選手の佐藤友祈さんがお部屋を訪ねてくださいました。

そこで、彼のパラリンピックが開催されるかいなか?と世間が騒がれている中の

想いを語ってくださいました。

 

オリンピック委員会また、パラリンピック委員会の方々は、オリンピックを開催するために

いろいろな方法を考慮し、活動してくださっている。

だから、私たち選手の役割は、

オリンピックが無事開催されるときのために、

練習を積み重ね、心を整え、その日に

金メダルが取れるように最高の状態で迎えるために努力し続けることだ。

 

また、もしも開催されなかったとしても、その一つ一つが

無駄ではなく、必ず何か別の形で恩恵がある。

 

コロナ化の中、私たち選手だけでなく、

世界中の皆様がつらい状況下に置かれて暮らしている中、

私にできることは、その継続し続ける姿を見せる事だ。

 

私には何不自由なく暮らしていた時代と、病気になり、下半身の感覚を失う

というどうにもならない状況になり、一度やる気を失い、引きこもった

時代の経験がある。

 

そんな時にテレビで活躍するパラリンピックの

選手を見て、力を取り戻し、今の考えに至るまでの自分の変化を

体感している。

 

大きく言うとアスリート、いや、パラリンピックの選手たちは、

その姿を皆さんに示すことで下を向いて歩くだけでなく、

壁にぶつかってそして、また上を向いて歩いていけるきっかけを

与えるそんな役目ができるのではないかと思っています。

(是非、直接お話を聞かれて下さい。魂のこもった言葉に感動します)

 

 

私自身は、オリンピックの開催をコロナ化の中でやる意味について

やれるのか?難しいんじゃないか?という観点で浅はかな考えがありました。

 

ただ、昨日、佐藤さんの生の声を聴かせていただき、

こんな気持ちで国民の希望になろうと頑張る姿に、

胸をうたれました。

 

こうやって公言し、そして、前を向いて一歩一歩進まれる

力強し姿を応援せずにはいられません。

 

私にも夢があります。

未来の子ども達に託していきたい教育や考え方、日本のアイデンティティとしての食文化。

を伝えていくために保育園運営、保育士人材育成、また、給食センターの設立。

 

あきらめることなく、その目標に向かって歩み続ける姿が

子ども達の未来のために私ができる事だと確信しました。

 

これを読んだ皆さんも、

いろいろな環境の変化や、心の変化があると思いますが、

焦らず、あきらめず、目の前のことを一つづつやり続け、

希望が向こうからやってくるその日をみんなでがんばりましょう!

 

佐藤友祈 (パラリンピック陸上選手)


ホームページは、下記のリンクから参照ください!

4種目で世界記録を持つ男!




Wikipedia参照

卒業後は県内の水産加工会社に勤めたが、半年後に退職。演劇の仕事を夢見て上京したが、21歳の時に脊髄炎になり、左腕が麻痺し、下半身の感覚を失った

車いす生活になってからは藤枝市に戻り、しばらくは引きこもるようになったが、ロンドンパラリンピックで競技用で走る選手をテレビで見て衝撃を受け、自分もやってみたいと思うようになった