お盆に、俺も墓参りに行ってきました。


母親に聞くところ、


俺は小さい頃から墓参りが好きだったらしいです(笑)


今年、

墓参りの途中で、


なぜか不意に


「娑羅双樹 」の話になり、、、、






ウキより



~娑羅双樹 とは、




娑羅双樹(さらそうじゅ、しゃらそうじゅ)

日本において娑羅双樹(沙羅双樹)、サラノキ、 シャラノキ等とされているものは、ツバキ科のナ ツツバキ。日本において無常の象徴とされている のがこの植物のことである~




娑羅双樹といえば、昔、学校で習ったこんな詞を 思い出しました。





祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず

ただ春の世の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

偏に風の前の塵に同じ







とゆう、


有名な詞がありますが、



(まぁ、俺くらいになると一日三回はこの詞を口にする)



詞、本文の意味は、


「 世の栄枯盛衰は誠にはかないものである 。」


といった内容ですが、



まさにその通りで、



この世の中に、



「絶対」




とゆうものはないのです。




ではなぜ、



人は、


いずれ朽ちていく身でありながら、



日々、



精進しようとするのでしょうか。



人間、



諦めたり、



落ちていくのは簡単です。



いずれ朽ちていく身なら、


日々、



何の我慢もせず、



やりたいことを、


やりたいだけやって、


生涯を終える。


単純に考えたら、


そっちの方が明らかにラクやし、


楽しいに決まってる。





しかし、優秀で意識の高い人間は、


昔から、



厳しい修行の末にこそ、、



真に何か得るものがあるはずだ。


と、考え、


惜しみない努力を生涯費やしてきた。


人間はいつの時代も、


先人のその努力の結晶の上に産まれ、


そこにあぐらをかいて生涯を終える者もいれば


努力して、この時代に自分が生きた痕跡を残して生涯を終える者もいる。


例え幸せよりも、


苦労の方が多かったとしても、


俺は後者の生き方を選びたい。


そんな風に最近は思います。


何かの道を極める。


どんなジャンルの人でも、


もともとのポテンシャルなんか大差ない。


のだとすれば、


後はまさに、





「心」





の戦いなんだな~。





「心」という漢字の語源。







注:決して、






こどもち○こ






ではない。