改造版ロマサガ3(非公式)、
シェラハとの戦い(呼び醒まされた記憶)
・・・の、SFC音源アレンジ。
アレンジの非公式改造のSFC音源版だから、なんのこっちゃという話である。
クッキー☆のほのぼの神社の原曲が何なのかにも似ている。
そもそもの原曲に相当するのはワンダースワン版であり、
WS版を大幅にアレンジしたものがミンサガ版であり、
それをさらにデチューン(!)したのが、冒頭のSFC音源アレンジである。
通常のBGMはリメイクの代を重ねると音源が豪華になって、
新たな可能性を獲得し、同時にいくつかの魅力を失う。
あえて退化させることで本来ありえなかった魅力を生み出し、
かつ、
ロマサガといえばスーファミだった世代向けに「わかってる」アレンジ。
まあ、言葉は不要か・・・
BGMはイトケンってことでご理解いただく(!)として、
ロマサガとはあんまり関係のない神話の話。
神話や宗教の設定って細かくやると誰も読まないし、
雑に名前だけ設定すると手抜き呼ばわりされるしで、
どこまで作り込めばいいのかって、作る側からするとクソ面倒なんだよね。
ロマサガはいい意味で雑というか、
ユーザー側がある程度深読み妄想をする前提でのゲームデザインだから、
アーマードコアと同じく、プレイヤーを厳選することで解決した。
だからシェラハだのエロールだのサルーインだのと言われても、
細かい設定はさっぱりわかりゃしない。
でも彼らの語り口やら作中での扱いやらで、
どういう存在であったのかはおおよそ察せられるから、
あまり問題は起こらない。
そのへんは七英雄も同じで、
客側に想像力や分析能力を要求してしまえば、
思っている以上にガバガバであっても許されてしまう。
問題はどこまでユーザー側に負担を強いるのかであって、
全盛期のスクウェアにイトケンというバリューがあったからこそ、
そういう暴挙が許されたわけでね・・・
んで欧米()のBGMは主旋律を殺さなければ人権すら与えられない、
いわゆるオサレなものがほぼ全てを占めるけど、
日本の、特にゲームBGMは主旋律がバリバリに主張してくるのが特徴だ。
何が違うかっていうと、
音楽のド素人でも口笛が吹けてドレミの音階がとれる。
「素人が音楽に親しむ機会を得やすい」んだよな。
だから自分でも音楽を作ってみようと思い立って、
なんとなく旋律をイメージするまでが、比較的楽なものになる。
それでも実際に有名なゲームBGMの作曲家の大半は、
きちんと音楽を勉強したプロフェッショナルばかりなんだけど・・・
音楽に親しみやすくなるという点では、
ゲームBGMほど音楽業界に貢献しているものはないと思うし、
「異質すぎる」日本のゲームがなぜ他国で通用するのかって、そこだと思うのだ。
人類の90%以上を占める「音楽のド素人」にとって、
音楽には高尚さなんて求めてないんだよな。
その場で感情や情景が伝わってくるようなものであるかどうかが全て。
有名なのはコレとか、
コレとか?
これらは雰囲気が伝わってくるけど、
上は口笛向けじゃないし、
下も途中から口笛向けではなくなる。
その点において、日本のゲームBGMは実にシンプルだ。
感情に虚飾なんかしなくていいんだよ、
そんなのは現実世界だけでたくさんだ。
だから「抱かれたい下水道」などという俗語が生まれる。
ロマサガのBGMってのは、
適当なシナリオ、ガバガバな設定と戦闘バランス、
それでも確かに伝わってくる何かを、きちんと彩ってくれるもんなのだ。
で、この記事で紹介したかった曲をもう一度置いておく。
この曲から何がどう伝わってくるのかって、
ゲームなんてやったことがなくても、
だいたい想像できるんじゃないか?
情報量が少ない音楽のほうが、
耳に入ってくる要素が少ないぶん、
伝えたいものは伝えやすいと、僕は思っているのだよ。
赤ちゃんの泣き声なんて、
ヒトの耳に一番よく届く周波数であるというだけで、
1種類の音なのにあれだけ強く伝わるのだからな。
伝えたいものが伝わる音楽が一番「正しい」。
僕はそう思うのだ。