表題はまあ、うん。勿体つけるような話ではないんだけどさ。

 

ごく当たり前なことなんだけど、

たとえば赤ちゃんの成長記録を、写真なりビデオなりで残す。

 

10歳になってから、20歳になってから、30歳になってから、

折に触れては思い出すのって大切なことだから、

まあ色々理由があって、誰かしら何かしらひとつくらいは残すだろうよ。

 

それを動画サイト、ないしSNSのアカウントで管理できるようになると、

5歳の子が15歳になるまでの記録が残り、

15歳の子が25歳になるまでの記録が残ることになる。

 

・・・当たり前すぎて、だから何なんだって話じゃん?

 

でも5歳から15歳の10年は、人生の中で最も大きな10年に相当するから、

その間の変化も、もちろん大きいわけだ。

 

15歳から25歳までの10年も、やはり将来、人生設計という観点でみれば、

その前の10年よりもずっと大きなものになる可能性がある。

 

さすがに30歳や40歳を過ぎてからの10年なんて、

劇的に変わるものは頭髪や肌のシワ、

あるいは痩せた太ったの類であって、うん。

 

 

 

 

その10年が、あるいはX年、n年が、

その人にとってどのようなものであったのかが、

なんとなくわかってしまうのだよな、ネットの向こうにいるはずなのに。

 

 

 

 

動画編集スタイルが劇的に変わった(大半の場合「劣化した」)女性がいたら、

編集してくれてた彼氏と別れたんだろうな、

あるいは引っ越したか縁が切れたかなんだろうなと、察しがついてしまう。

 

そもそも10年の歳月が肌にシワを刻むことだって当然あるわけだし、

ベジタリアンになっていたり、オシャレの方向性が変わっていたり。

 

女を蝶にたとえて変身願望だのライフステージの変動だのを考えるのは、

まあ昔の人も、どこの人も、同じことを考えていたのだろうよ、

親類縁者、同じ場所に住む仲間を見ながら。

 

 

 

 

それに対して男性の場合は、10年間ずっと同じことをやってる人が多い。

年齢が変わったから対処法が変わることもあれば、

年齢に関係なく技能だけが向上していることもある。

 

めまぐるしく変わる目の前の何かを追い続けるタイプの男は、

10年前と同じことがやれていないケースが大半で、

だいたいロクでもない方向に「退化」している。

 

逆に淡々と同じことを続けてきた、

地味ながらも見ていて楽しいものをエンジョイしてる男は、

「この人昔っからブレなくてすごい」という評価を得るケースを何度か見かけた。

 

 

 

 

女の価値が若さに集約されていて、

男の価値が技能や体力に集約されていて、

流行を追うのが女で、不易を担うのが男で。

 

そういう「当たり前」なものをいちいち否定しようとする連中が、

ポリコレだの多様性だのLGBTだのとほざいてはいるけれど。

 

今既に、ここにあるものを否定し排除することで、

自分の要求だけを優先させようとする奴なんて、

どこにいってもクズだし、ただの侵略者やテロリストの類でしかない。

 

それこそ動画サイトやSNSを見ていればわかることだけど、

多様性を守れというからには、何かを否定してはいけないんだよな。

否定した時点で多様性が失われる。

 

10年で太って老いた美女もいれば、

10年で鍛えて生まれ変わったオッサンもいる。

 

10年で技量が進歩し作品の質が向上した人もいれば、

10年で飽きて下手糞になり、廃業したり転業したりした人もいる。

 

「多様性という正解」なんてあってはいけないんだよ、それこそ「絶対に」

 

若くして亡くなった人もいれば、

老いて人前に出てこられなくなった人もいる。

 

それらの全てがあっていいものであり、

何かだけはあってはならないという強制と排除こそが、

何よりも許されてはならない。

 

 

 

いろんな人生があっていい。

 

既にそこにある人生を否定しようとする権利など誰にもない。

 

「多様性という口実により行われる排除」が正しいなら、

多種多様な現在なんてありえるはずがない。

 

 

 

 

だからもう一周まわって、

「その単語」を軽々に口にするような奴は糞虫未満の悪党ないしテロリストだと、

脊髄反射で決め付けていいものってのがたくさん生まれてしまった

 

「ネトウヨ」だの、「弱者男性」だの、「女叩き」だの、「誹謗中傷」だの、

ものの本質や論点・争点をずらして、

人格攻撃にすり替えたり、論理ではなく価値観の問題にすり替えたり。

 

卑怯で、下賎で、感情的で、攻撃的で、何よりも不寛容な。

 

そういう人格や価値観、意図や目的のために生まれた、「邪悪なキーワード」。

 

 

 

 

まあ、うん。

 

「不易流行」だの「色即是空」だのという言葉で片付くんだけど、

あえて言葉にしてみるやつよ。

 

変わらずに生きるために変わり続け、

変わり続けるために変わらずに生きる。

 

年齢とは関係なく筋トレをし、技能を磨く。

できなくなることが増えても、やるべき方針は変わらない。

 

嫌でも変わり続けるからこそ、

変わらずにいられる生き方を確立させたくなるわけだ。

 

そして自分の生き方が確立されていくほどに、

その生き方を貫くためには、

間違いを正し、新たな出会いや学びを尊び、忌むべきものを断ち切り。

 

老いて醜くなったかつての美女は、

ただ上っ面を磨いていただけの有象無象なのか、

美しさの本質を探求し続けた努力家なのか。

 

前者には品性が宿らず、後者には品性が宿る。

 

言葉遣いや立ち振る舞い、ひとつ無価値になったらふたつ磨けばいい。

 

総合力としての自分の美しさや、より模範的な可能性に手を伸ばす。

 

 

 

 

そういう小さな、目に見えないものって、10年も経てばはっきりと差がつくよね。

 

「タイム」ラインに流されるSNSと違って、

電脳空間上の固有の座標に存在し続けるブログには、

それなりの意味があるわけよな。

 

動画サイトのアカウントが同じでも、

昔の動画がこっそり消えていたり、

ある日突然アカウントごと消えたり。

 

残す、伝える、守る、受け継ぐ、

たったそれだけのことがどれだけ難しいのか。

 

・・・僕はそれを、幼稚園に上がる頃には理解し確信していたから、

必死こいてさまざまな知識や技能を修得したわけだが、

世間一般様は大人になって思い知るから、説教臭い大人になるわけだ。

 

子供の頃に一番大嫌いだった人種に成り果てた理由が、

あなたはこの10年で、どれだけ理解できただろうかね?