当たり前なことなんだけど、

自分にとってバカバカしい、どうでもいいこと、興味のないことであっても、

それを絶対に笑わない、バカにしない、きちんと向き合う、ってのが一番大事。

 

 

 

どうせその人に話しても笑われる、真剣に聞いてもらえない、

そう思われてしまったら、

誰も正直で素直な気持ちや悩みや不安なんて打ち明けてくれなくなる。

 

コミュニケーション能力だなんて曖昧で不確かなものは存在しない。

 

あるのは相手に対する理解と信頼という、目に見えないものだけだ。

 

心理学だのテクニックだので他人の気持ちを推察できると思い上がったアホが、

僕の気持ちを言い当てたことなんか、

過去に一度も存在しないからな。

 

 

 

 

目の前にあるものに対して誠実であれるかどうか、対等であれるかどうか。

 

当たり前のように上下優劣でモノを決め付けず、

まずはその人がどう感じているのかをきちんと聞く。

 

バカにしない。後回しにしない。

 

自分がされたら嫌なことは、絶対に相手にはやらない。

 

どんなくだらないことでも、真剣に考えて、応えればいいだけだ。

 

 

 

 

たったそれだけのことさえできない人間が、この世界の大半を占める。

 

僕の母親もそうだった。女は特に多い。

自分に興味がないからどうでもいい、たいしたことがないとすぐ決め付ける。

そうやって夢を潰された少年の心はいずれ「つまらない男」に成り下がる。

 

 

 

 

 

だから僕は、絶対に、どんな悩みでも笑わないし、どんな話題でも拒まない。

世界中の、あらゆる人の、どんなときでも。

 

その苦悩と忍耐のストレスで体がブッ壊れようとも、

たったそれだけのことで救われる人がいることを、僕は知っているし、

たったそれだけのことでしか救えない人がいることを、僕は知っているからだ。

 

 

 

 

 

まあ、印象深いコピペでも置いておくよ。

 

「嫁 ハンバーグ コピペ」あたりで出てくるんじゃないかな。

 

 

 

 

 

820: 02/18 23:12
結婚して子供ができて、ホカホカした食卓にみんな笑顔で並んでたりして、ときどき泣きそうなくらいの幸せを噛み締めるなー。
「荒みじんの玉葱が入ったでっかいハンバーグ」とか、「大皿いっぱいの散らし寿司」とか、カミサンと子供には、自分が子供の頃に満たされなかったものを埋めてもらってる。
「ケチャップで名前書いたオムライス」「釜で炊いたお米のキレイな狐色のお焦げ」
「ジャガイモとニンジンのゴロゴロしたカレー」みんな夢見るだけで一回も与えられなかったものだ。
「年の数だけロウソクの立ったケーキ」も。
なんか、三十過ぎた今になってようやく、切ない気分にならずに見られるようになった。最初の頃なんか幸せな食卓に座るたび「なんで俺がこんなトコにいるんだろ」とか思ったけど。
自分みたいな一人きりの惨めな飯とか、親も不在で金も食いモンも無くてひもじい思いとかぜったいさせたくないな。

824:820 02/19 13:27
うちね、端的に言うと親が超DQNだったの。当時のウチのメシ見たらみんな残飯かゴミかと思うよ、きっと。幸か不幸か自立して生きて来れた。優しい嫁とも会えた。元気な子供もできた。だから、俺はきっと神様っていると思う。

新婚当時は出されたもの食べてた。しばらくして(長男を妊娠した頃か)
「ね、好きなものなんでも作るよ、なに食べたい?」って聞かれたから、思わず「おっきいハンバーグ」って答えた。
我ながら三十過ぎてなにいってんだ思ったけど、嫁はニッて笑って、小さめの座布団みたいな超巨大ハンバーグ作ってくれた。
俺のこと見ててなんか感じたのかな。爪楊枝のちっちゃな旗が立ってて、お手製ハンバーグソースで「○○くん(はぁと」とか書いてあった。

俺って妻だけではなく、初めて家庭と母親を手に入れたんじゃないのかな。