2014年5月7日のブログです。
福島原発事故の失敗から学ぼうとしない人が多すぎます。
2011年の4月上旬の現地報告で、「マスコミは報道しないけど、子供たちの被ばくの症状が出ている」と指摘した看護師。
「子供たちを守ろうとすると、教育委員会が監視して妨害する」と語った福島の小学校教師。
5/5に紹介した自宅から持参した水筒の水を捨てた教師がいましたが、その子供は「ボク、学校の水を飲まないで我慢したよ」。と家に帰って母親に言ったとか。
当時、もう一つのブログに載せた福島に関するものを転載させていただきます。
改めて読み返すと、南相馬市長が【福島県民は棄民】と嘆くのは無理ないですね!
2011 4/8(金)
〈あるTVディレクターのブログ〉より
【大きなマスクをした福島の女の子】
昨日、福島に仕事に行ったのですが、そこで大きなマスクをした19歳の女の子と話をしました。
室内でもずっとマスクをつけているので、花粉症かな?と思ったら、「放射能、怖いじゃないですか」という話でした。
彼女によれば「もう水道の水の味も違う」そうです。「もともと福島の水はおいしかったのにもう、美味しくない。
手や顔を洗っているとザラザラ荒れてくる。お風呂も入浴剤を使ってごまかして入っています」と言っていました。
これが「直ちに健康に影響を及ぼすレベルでない」放射能汚染地域に住む方の生活実感です。
東電や政府の偉い人たちは「気のせいだ」と一笑するかもしれません。
しかし「私はここに住むしかないので」という彼女のせめてもの防衛策を東電も政府も責められないはずです。
2014年5月7日のブログです。
2012 7/14(土)〈掲示板より〉
【僕達5年後にガンになるのだろうか】
オイラは5月の連休に会津方面に旅行した。
福島の人達は原発事故のことは口を閉ざして語らない。こちらも聞いてはいけない雰囲気だった。
しかし、高校生の会話がそれとなく耳に入った。
「僕達5年後にガンになるのだろうか、何歳まで生きられるだろうね」
青春時代真っ盛りの高校生がこんな深刻な会話をしていることがショックだった。
福島の人達は原発事故がただ事でないこと、真実を知っているんだろう。
それにしても、福島の安全宣言を出した「野田ブー」は何者なんだ。
はっきりいって殺人犯みたいなもんだろう。
はやく福島をなんとかしろ。
「馬鹿政府」「馬鹿東電」
2012 7/14(土)〈掲示板より〉
【僕達5年後にガンになるのだろうか】
オイラは5月の連休に会津方面に旅行した。
福島の人達は原発事故のことは口を閉ざして語らない。こちらも聞いてはいけない雰囲気だった。
しかし、高校生の会話がそれとなく耳に入った。
「僕達5年後にガンになるのだろうか、何歳まで生きられるだろうね」
青春時代真っ盛りの高校生がこんな深刻な会話をしていることがショックだった。
福島の人達は原発事故がただ事でないこと、真実を知っているんだろう。
それにしても、福島の安全宣言を出した「野田ブー」は何者なんだ。
はっきりいって殺人犯みたいなもんだろう。
はやく福島をなんとかしろ。
「馬鹿政府」「馬鹿東電」
最近、科学を越えたスピリチュアルの確かさを感じます。
2013年2月22日のブログです。
「ニュースの深層」で
【被災地の神社が伝える″津波のメッセージ″】として、
海洋プランニングの熊谷 航さん(「神社は警告する」の著者)が解説しました。
311の震災の後、仕事で津波の震災状況を調査していた時に
南相馬市の原町地区は、周辺の住宅は壊滅したのに
同じ津波が来た神社だけは、殆ど無事だった。
被災した住民が自宅の瓦礫処理で多忙にもかかわらず、
神社はキレイに整理されていたことに神々しさを感じた。
他の神社の多くも無事であることに驚いて、調べてみることにした。
福島県の真ん中から北側の南相馬市、相馬市、新地町の
南北30Kmの海岸沿いの84の神社のうち、
津波が来た浸水線上の67の神社が無事だった。
周辺の住宅が壊滅したのに、ほぼ無傷で残っていた。
釜石市両石地区の神社や陸前高田市の寺は、
津波が高台まで押し寄せたのに寸前で無事だった。
地層がえぐり取られて、崖の上にギリギリに立っている神社もあった。
相馬市磯部地区は住宅は壊滅したが、
海岸のすぐそばの緩やかな丘の神社は無事だった。
調べてみると、殆どの神社が標高10mの土地に建っていた。
鎮守の森に囲まれているので、木が神社を守った例もある。
流されている神社の特徴として、
南相馬市の流された7つの神社は以前、海だった低い土地に建っていた。
歴史を調べてみたが、殆どの記録が残っていないが、
唯一、江戸時代に相馬ハンの役人が集落を廻って、調べた文献によると
来歴不詳の比較的古い神社は残っている。
一方、江戸~明治以降の新しい神社が流されている。
相馬市の集落に、先祖代々残っている教訓は、
「地震が来たら、津波がくる。津波が来たらツナミツ神社に逃げよ」
の言い伝えをみんなが今でも、守っている。
復興計画の中で、 神社の役割は大きいので、
それぞれの実情に合わせて、住民と十分、
話し合った上て神社復興計画をする必要がある。
熊谷さんは、今も個人的に南相馬市の神社の修復の支援をしています。
2013年2月22日のブログです。
「ニュースの深層」で
【被災地の神社が伝える″津波のメッセージ″】として、
海洋プランニングの熊谷 航さん(「神社は警告する」の著者)が解説しました。
311の震災の後、仕事で津波の震災状況を調査していた時に
南相馬市の原町地区は、周辺の住宅は壊滅したのに
同じ津波が来た神社だけは、殆ど無事だった。
被災した住民が自宅の瓦礫処理で多忙にもかかわらず、
神社はキレイに整理されていたことに神々しさを感じた。
他の神社の多くも無事であることに驚いて、調べてみることにした。
福島県の真ん中から北側の南相馬市、相馬市、新地町の
南北30Kmの海岸沿いの84の神社のうち、
津波が来た浸水線上の67の神社が無事だった。
周辺の住宅が壊滅したのに、ほぼ無傷で残っていた。
釜石市両石地区の神社や陸前高田市の寺は、
津波が高台まで押し寄せたのに寸前で無事だった。
地層がえぐり取られて、崖の上にギリギリに立っている神社もあった。
相馬市磯部地区は住宅は壊滅したが、
海岸のすぐそばの緩やかな丘の神社は無事だった。
調べてみると、殆どの神社が標高10mの土地に建っていた。
鎮守の森に囲まれているので、木が神社を守った例もある。
流されている神社の特徴として、
南相馬市の流された7つの神社は以前、海だった低い土地に建っていた。
歴史を調べてみたが、殆どの記録が残っていないが、
唯一、江戸時代に相馬ハンの役人が集落を廻って、調べた文献によると
来歴不詳の比較的古い神社は残っている。
一方、江戸~明治以降の新しい神社が流されている。
相馬市の集落に、先祖代々残っている教訓は、
「地震が来たら、津波がくる。津波が来たらツナミツ神社に逃げよ」
の言い伝えをみんなが今でも、守っている。
復興計画の中で、 神社の役割は大きいので、
それぞれの実情に合わせて、住民と十分、
話し合った上て神社復興計画をする必要がある。
熊谷さんは、今も個人的に南相馬市の神社の修復の支援をしています。