市川海老蔵さんの「口上」 | かこちゃんのブログ

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ル・テアトル銀座の「3月花形歌舞伎」に行ってきました。

座席がなんと通路の左側で、階段が花道になっているので、

役者さん達が出たり入ったり、目の前で海老蔵さんの立ち回りありの

サプライズの連続で、たっぷり楽しめました。


団十郎さんの「オセロ」公演が中止になったので、

その代わりの公演を海老蔵さんは立派に果たしていました。


立体的な舞台の、屋根の上の立ち回りは見事でしたし、

最後の幕引きまで顔を出して、お客様にありがとうをしているようで、

お客様を楽しませることに終始していました。

子供の頃から鍛えられている人は違います。


尊敬する勘三郎さんから教えを受けたという演目を選び

「夏祭り浪花鑑」「口上」「高杯」でした。


「口上」は当初は出演者全員で行う予定でしたが、

団十郎さんが亡くなったので、楽しいことが好きだった

団十郎さんを偲んで、海老蔵さん一人の口上にしたそうです。


「勘三郎お兄さまには大変お世話になり、

共演するときは公演が終わると、毎晩お付き合いをさせていただいた。

お芝居のお話や、ここでは公表てきないようなことも教えていただいた。

勘三郎お兄さまのなさる演目を教えて頂きたくて、お願いすると

それならアリゾナの別荘に来いと。

伺うと、朝早くから稽古をして10時からはゴルフで、

終わると、飲み会が朝まで続く。本当は寝たいのだけど、

大先輩には恐れ多くて言えない。アリゾナでそんな生活を一週間過ごした。

お兄さまはゴルフが大変好きなので、通う時間を倹約してゴルフ場の中に別荘を建てた。

新之助時代、玉三郎お兄さまが相手役に抜擢してくれて、緊張していた時に

勘三郎お兄さまが自宅に見えて、宴会となった。明日があるから

寝かせて欲しいと何度も言いかけたけど、大先輩には言えずに朝までご一緒した。


父は早くから父親をなくしたので、父親から教えて貰ったのは二役しかなかった。

それで、息子にはそんな思いをさせたくないと、沢山の役を教えていただいた。

大きくなるにつれ、父親というより師匠の思いが強くなった。


父はおおらかな人で、天体観察が好きだった。

子供の頃、妹と一緒に、近くの公園に金星を見に連れて行ってくれた。

30分かけて天体望遠鏡をセットして、子供達に見せようとすると

僕はやんちゃで、それを足で蹴飛ばしてしまった。

それでも父は怒らないで、又、30分かけてセットし直した。そんな律儀な人だった。」


まだまだ楽しいエピソードを披露して下さったのですが、

うろ覚えなので残念ながら紹介できません。


震災後、余計なものは買わないと誓ったのにプログラムを買ってしまいました。

心のこもったプログラムなので買ってよかったです。

助六のマスコット人形付きのポールペンと勧進帳の一筆書きも買ってしまいました。


病み付きになりそう!!