学校の思い出 | 弱い犬ほどよく吠える

学校の思い出

映画「エレファント」をテレビで見た。
こないだムービープラスで放送したのを録画しておいたやつ。
先週の「太田総理」で未成年の犯罪に関するネタをやってたので
個人的にはタイムリーだなと思いつつ。


正直言うと難しくてよくわかんなかったんだけど、
犯人や被害者の内面を全く書いてないのは
すごくいいなと思った。
淡々と目に見えることだけを追っていて。
できれば元ネタを知らずに見たほうが良かったと思う。
そしたら終盤は衝撃的だったかも。


やっぱ銃が容易に子供の手に入るってのは怖いねーと
思ったんだけど。
日本でも似たような奴らはいるだろうけど
銃がないとここまで被害者数は増えないだろう。
まあこういうことをやる子が出るということへの
根本的な解決にはならないけど、被害は少なく出来てるのでは。
刃物じゃ近接しなきゃならないし、抵抗されると体力も使うしね。


なんでこういう事件を起こす子供がいるんでしょうね。
って、まあ皆考えてるけど結局よくわかんないんでしょうけど。
ただ、やっぱもったいないなと思う。
「なぜひとを殺してはいけないの」ってクエスチョンが流行ったことがあるけど
別に殺しちゃダメってことはないわけで。
「禁じられているから殺さない」、というのは切ないことですよね。
多くの人は「殺したくないから殺さない」、筈なのに。
誰も殺さずに生きられることがどんなに幸せなことか、
そしてその幸せはちょっと油断すると簡単に壊れてしまう貴重なものであること、
それを知らずに生きているのはかわいそうなことだなあ。
まあ、知っていても忘れちゃうこともあるんだけどね。



そんで太田総理といえば、もうひとつ、
熱血教師禁止って話をしてたんだけど
あれはすげー身にしみたなー。


私は学校生活の記憶って殆どない。小中高ともに。
クラスメイトも担任の顔も名前も殆ど思い出せない。
ただ、子供の頃はとにかく学校が嫌で嫌で仕方なくて
小、中、高と進むにつれて少しずつ
いくらかマシになってそれほどは嫌じゃなくなったのは確か。
なんでそこまで嫌だったのかというと、
学校生活が性に合わなかったとしかいいようがないんだけど。
時々思い出すのが、小学校の5,6年生の時
担任の先生に嫌われていたこと。


私はいわゆる「不良」的なところは全くなかったし
すごく大人しく真面目にやっていたのだけれど
あからさまに嫌われていた。
まあ、性格も暗かったし
センセイのお気に入りになるようなタイプではないので
しょうがない。
教師だって人間だし、好き嫌いがあるのは当たり前で
それ自体はどうしようもない。


だけど、そういう個人的な感情ってのは
極力抑えて接しようとするのがプロじゃないのかい。
露骨にきつく当たられたら
いくら感受性の鈍い子供でも傷つくよ。
例えば、夏休み前の通信簿配った後の講評で、
「ワニタ(仮名)さんは○○は全項目『良くできました』
でした。××は全部『がんばりましょう』でしたけどね」
って、すげー嫌味な言い方で
クラス全員の前でばらしやがったんだよそいつ。私の成績だけ。
(ちなみに○○、××はそれぞれ教科名。3段階評価の一番上と一番下)
しかも後で読んだら家庭への通信欄に
「自分の殻に閉じこもって自分だけの幸せを味わってさぞ満足でしょうけど
学校生活はそんなことでは云々」みたいなこと書いてんの。
んじゃっそりゃっ! 
お前がそんなだから、お前だけに心を開いてないんじゃ!と
今なら言えるけどねえ(笑)


もちろんその時も私は普通に大人しく話を聞いていたので
何かの懲罰として公表されたという訳ではない。
とにかくその教師は私のことを気に食わなかったんだと思う。
私が「できない子」なのはクラスでは皆知っていたけど、
さすがにクラスメイトも教師の仕打ちにひいてて
誰も笑ってくれなかったよ・・・
まあ他にもいろいろあったしねえ。もう思い出したくもないけど。


熱血教師といえば聞こえはいいけれども
人間対人間として接すると
どうしても40人全員と同じような付き合い方ができるわけがない。
聖人君子じゃないんだから、好き嫌いがあるのは仕方ない。
だからこそ人間同士として接するのは問題があると思うのですよ。
自分は人間だから好き嫌いを全面的に出して差別するぜ、
って自覚的に、生徒にもそれを宣言してやってくれるなら
それはそれでいいけどね。
(多分世間が許すまい・・・平等なふりして差をつけるよりは絶対いいのにね)


先生方はプロらしい適切な距離感を持ってやって欲しいなと私は思う。
聖職云々なんかよりプロ意識の方が
教師には必要なんじゃないかなあ。
「自分はこれで飯を食ってる」って責任感と危機意識ね。