このところ、”知”という漢字を考えることが多い。
・知る
・知識
・知恵
・知性
・知覚
など、頭脳に関連する単語がならぶのだが、
最近の「知る」情報量の多さが、どうも新しい形の災いを生む方向に動いていると思えて仕方がない。
しかも、ある意味、その災いは、誰も悪くなのではないか?
人間が、人間として制御できる限界を超えてしまったからではないか?
などと思うのです。
頭脳明晰で優秀なはずの官僚・・・
それこそ、”知”の代名詞でもあったはずの大学教授・・・
ここに政治家は入りませんが。(笑)
その人たちの”配慮に欠ける発言”は、
以前のメディアのように、その当事者を責めるだけで終わると学びがないような気がするということです。
もちろん、当事者には、取るべき責任をしっかりと取ってもらうし、
官僚の処分に至っては、立場の辞任ではなく、免職だと思います。。。
まっ、ここは、今回は本論ではないので、この辺で。
何が言いたいかというと、
記憶力や記憶の容量の大きい人は、
twitterのタイムラインから、膨大な情報を頭に流し込めますよね。
昔なら、目に留まらなかった、
編集で切り捨てられてしまったような情報まで。
もちろん、その中に大切なものもある!というのはわかるのですが、
人間の頭は、コンピューターとは違いますし、
ましてや、人間は機械ではないので、
詰め込まれた多くの情報を、自分の体調や気持ちの状態に関わらず、
常に安定して処理しアウトプットするなんてことは不可能だと思うのです。
フリーズしたコンピューターのリブートのような作業は、
”人”の場合どうするの?ってことですよ。
パソコンも、重たくなると動きが遅くなりますよね?
”人”は?
ってことですよ。
一昔前の優秀のレベルでは、今の時代、優秀とは呼べず、
一昔前の”超”優秀レベルが、今の時代の優秀なんだと思うのです。
だから、「頭が良いのに、なぜ、あんなこと言っちゃうんだろう?」
とか、「頭が良いだけじゃだめなんだよなー!」
という頭が良い人差別まで発展してしまうように思うのです。
格差や差別は、単純じゃない時代なのです。
時代は、”劇的に変わった”。
しかし、”人はたいして変わってないよ”。
という、アンバランスを、バランスさせる!
というのが、僕たちが、子供たちの未来にしてあげるべき、
社会の仕組み全体の変革なんではないかと思うのです。
ということで、おしまい。