昨日 母と ひさびさに 長電話しました。
その中で いろいろ 考えさせられました。
人間は 不完全です。
不完全って 今まで 身体的や
精神面で 自分に かなり 弱い部分がある
って ことで 自分なりに わかってる
つもりでいたけど
たぶん
人から 受けた 愛情も
その人が せいいっぱい
100% 注いだとしても
注いで もらった方は
それを 50% ぐらいにしか
感じることが できない
残り 50%は 不満に思う
もっともっともっと。。。。
できるはず ヤッテヨ してくれない。。。
むかし
子供のころ
Mさん という 職人さんが うちに居ました。
うちは とこやさん を していました。
Mさんは びっこで じょうずに
歩くことが できない人で
立つ時も 斜にかまえるので
ブロースも 斜めに 刈り
はっきり言って 給料の割に
ヘタクソ でした。
私生活でも めちゃくちゃで
大酒のみで 外で あばれました。
それでも 父は Kさんを 大事にしました。
Mさんは 1か月で 今までの お店を
くびに なってきたのに、
その 使えない Mさんを 何年も
面倒みて 最高の お嫁さんも
世話して うちから 15分 くらいの所に
お店も だして あげました。
それでも Mさんは 文句タラタラでした。
父の せいいっぱいの 親切を
いろんな 言葉で 不満を言いました。
「結局 そういうもんだ。」
って 母は 言います。
父は お礼が ほしくて してあげた
わけじゃなく
してあげる 義務も なかった
それでも その時
父 本人が Mさんに してあげたかった
母が 何度も 「1か月 過ぎたし
契約では 終わりにしていいのよ。」
って 言っても 父は 使ってあげたかった
「そう 思ったから したのよ
それを どう 取るかは Kさんの 自由だし。」
「人は 愛情を 注いだ分 不満は生まれる
だから その人に 素直に
自分の 限界を 知らせる
ここまでは してあげられるけど
これ以上は 無理。
はっきり 言った方がいいのよ。」
人は 感謝を 忘れたのでしょうか?
不完全に なった日に
感謝する 心も 不完全になったのでしょうか?
なんだか とても 考えさせられました。
あたしは どうだろう?
人は 1人では 生きられない
誰かに 何かを 常に してもらってます。
あたしは ちゃんと
感謝してるだろうか?
「ありがとう。」と 思う心。
「ありがとう。」と 感じる心。
ちゃんと 持っていたいと
思いました。
