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                                                2022年3月15日
                                                        VOL.438
                      
    評 論 の 宝 箱
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     第438号・目次
     【書  評】  片山恒雄 『宇宙のはじまり』(佐藤文隆著 岩波書店)
     【私の一言】 幸前成隆 『長を取り短を棄てる』



    ・【書 評】
    ┌───────────────────────────────┐
    ◇                 『宇宙のはじまり』
    ◇              
     (佐藤文隆著 岩波書店)

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    └───────────────────────────────┘
                                             片山 恒雄


     私は死ぬまでに出来れば解明したいと思っていることが三つある。一つ目は宇宙

  • のはじまりの前はどうなっていたのか。物事には必ず始まりがある筈であり、その

  • 前が知りたい。二つ目は、宇宙の先端はどうなっているのか。つまり「果てしない」と

  • はどういうことなのか。三つ目は人間が死んだら魂はどうなるのか。「死んだら何も

  • なくなるんだよ」という人がいるが、あれだけ多くの神社・仏閣や仏典・聖書、多数の宗教者、信者が存在する以上、何かある筈である。本書はその一つを解明できると考え、手にした。今までこの種の本を何冊か読んだが、難し過ぎて途中で投げ出した。しかし本書は京都新聞の夕刊に連載されていたとのことなので、私にも理解で

  • きると思ったが、それでも結構難しかった。果たして著者の意図を正しく汲み取れた

  • か甚だ心もとない。

     さて今から約三百年前にアイザック・ニュートンは「自然哲学の数学的原理」(プリンキピア)を著して人類に一つの宇宙論を提示した。その中で彼は「無限の空間と直線的に流れる無限の時間。その無限さの中で永遠で恣意的支配者のいない最終的存在としての宇宙」を見ようとした。キリスト教が精神支配する時代の中にあって、「恣

  • 意的支配者のいない」という表現は当時としてかなり自由で勇気を要する表現であったと思う。その後二十世紀に入り、「宇宙とは無限の空間に散在する物質が勝手に

  • 営む単純和ではなく、ビッグバンという一つの結果としてこの宇宙の出来事は進行している」ということになったのである。


  •  京都の冷泉家に伝わる藤原定家の明月記には西暦1230年に起こった客(かく)星(せい)(新星のこと)の出現が記されている。今でいう超新星爆発のことである。これは星の内部で進行していた原子核が燃焼し尽くして重力崩壊したものであった。大切なことは、星には寿命があるということである。1929年にアメリカのエドウィン・ハッブルは今までにないほど大きな望遠鏡を作り、観測によって銀河が距離に比例して後退(遠ざかる)していることを確認した。なぜ分かったかというと星が発する光は、スペクトル(分光器を通過した波長の違いに従って順々に並んだ色の帯)を調べると、波長の長い赤に偏っている(赤方偏移という)が見られた。これはドップラー効果と言って、救

  • 急車が近づくと音程が高くなり、離れると低くなるのと同様で、星が観測する地球か

  • ら遠のいて行くことを示していた。こうして宇宙が膨張していることが解る。そこで反

  • 対に時間を遡って行くと、宇宙はだんだん小さくなり、最後は一点に集約される。

  • そしてこれが一気に爆発したのがビッグバンである。ところで光の速さは有限(1秒

  • 間に地球を七廻り半走る)であるから、我々に見えている星は、過去のものである。

  • 例えば太陽は八分前の姿であり、もし爆発しても見届けるのは八分後になる。また我々の銀河系の厚みは三百数十光年(一光年は光が一年かかって届く距離)なので、それぐらい離れた星では地球上で赤穂浪士の討ち入り(西暦1702年)時代に発した光を今見ていることになる。こうして宇宙膨張論から宇宙は定常的であったとする

  • ニュートンの説に対し、宇宙は初めの高温・高圧で、銀河も星もなかった時代から進化してきたと考えるようになった。

  •  

  • それを裏付ける決め手となったのは、1965年に二人のアメリカ人が大陸間テレビ中

  • 継用の送受信機の騒音を減らす作業をしていた時のこと、どう努力しても雑音が一

  • 定レベル以下にならなかった。雑音はどの方角からも同じように入ってきた。消えな

  • い雑音の犯人は、マイクロ波で、かつて高温・高圧時代に宇宙が放出した黒体輻射の残存物であった。輻射とは熱線・電磁波などが物体から四方に放出される現象を

  • いう(広辞苑)。その事実を知った専門家の応援を得てたった2頁の論文で、二人は

  • ノーベル賞を受賞された。ベンジャスとウイルソンの二人であり、これでビッグバン現象は動かないものとなった。

     渦巻く銀河の写真を見れば、誰もが物質が平べったい円盤となって分布しているものと考えるであろう。ところが様々な観測や理論によれば、銀河円盤に集まっているのは、核子物質(陽子と中性子の総称)であって、それと同じ重さあるいはそれ以上の「光らない物質」が円盤を取り囲む球状の領域(ハローと呼ぶ)に存在することが

  • 解ってきた。その理由は、円盤中の回転運動による遠心力と重力の釣り合いの中で、目に見えない物質が存在しなければ、重力の源が説明できないことが解ったからで

  • ある。そのような目に見えない物質は大量に地球や我々の身体を通り過ぎているのであるが、何の作用も感覚も与えないのである。この暗黒物質は、存在することはわかっているが現在に至るも発見されていない。金子みすずの詩「見えないものでもあるんだよ」を思い出す。

  • 宇宙の研究にあたっては、ビッグバン生成の過程を研究する必要がある。こうして

  • 二十世紀終わり頃から宇宙論の研究は素粒子論という極微の世界の探求と結びついて行く。筑波に建設された加速器で高温の火の玉を作り、瞬時のエネルギーを集

  • 中させ、作られた火の玉から初期宇宙の研究が行われている。

     宇宙に存在する物質は、完全に一様な分布をしている訳ではない。無数の銀河を眺めると一見乱雑に散らばっているように見えるが、よく見ると網目模様になっている。そこだけ銀河が特定の場所に集中して存在する。この事実は、銀河がバラバラ

  • に作られたのではなく、一緒に作られたことを我々に示している。この点からも宇宙

  • は膨張して生成してきたことの証拠と考えられる。では天体はどのようにして作られ

  • たのか。一様に膨張してきた宇宙のある部分だけ重力源があれば、他の平均的空

  • 間よりも余計に減速を受け、膨張が鈍化し、相対的に密度が高くなる。そして膨張が重力によって収縮に転ずる。こうして天体が生まれたのである。現在も膨張を続ける宇宙はこの先どうなるのか。重力によって、膨張の速度は次第に減速していくと考えられる。

     宇宙のインフレーション説によれば、我々の宇宙は、10のマイナス35乗センチメートルという想像を絶する極微の規模であった。つまり陽子一個の大きさの中に、10の66乗個の宇宙を詰め込むことのできるほどの規模であったことになる。そんなに小さな物体が、巨大な宇宙に膨らみ、そこに様々な物質や事物が生じ人類が生まれた。

     さて宇宙のはじまりの前はどうなっていたのであろうか。私の一番知りたいことである。この質問には、時間は過去に遡れるという前提が必要である。
    我々は時間は流れると考えがちであるが、時間とは二つ以上の独立した現象を比

  • 較する場合に初めて成立する概念である。しかしビッグバン以前では、我々の常識

  • である時計現象すら否定されるので、時間は時計のようには流れていなかったこと

  • になる。そこでは古典的な宇宙論とは相容れない量子論的な宇宙論の原理が適用

  • される。つまり時間は順序だって整然と過ぎてはいないのである。
    これでは宇宙のはじまりを知りようがない。次に空間について考えて見る。空間とは、一定の広がりを持つ舞台と考えるのに対し、一般相対論では、時間と空間は一体化しており、分離して考えることは出来ない。物体ÀとBはそれぞれ独立した空間を占

  • 有しているのではなく、同一と考えるのが「量子的同一」の考え方だという。こうして

  • 量子的宇宙まで遡れば、宇宙は無数の様々な宇宙が存在しなければならない。

  • 我々の宇宙の生成は偶然の産物であり、普遍的な原理に基づく唯一無二の存在ではなく、パラレルワールドともいうべき並列的にあまた存在する宇宙の一つに過ぎないと考えられる。気の遠くなるほど大きな世界である。


  •  最後に著者は言う。「人間は実験と矛盾のないものにするために、宇宙を絶え間な

  • く書き直してきた。従って人間を離れて宇宙は存在しない」と。またアメリカのジョン・

  • ホイラー博士は、「宇宙は(人間から)見つめられることによって初めて存在する」という。パスカルは「人間は考える葦である」と言ったが、宇宙とは所詮人間の思考の所産であるということが出来るのではないだろうか。


    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆【私の一言】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

                        『長を取り短を棄てる』
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                                                幸前 成隆


  • 「備わらん事を一人に求むるなかれ(語・微子)」。「君子は、人を使うに及びてこれを器にし、小人は、備わらんことを求む」「論語・子路」。

  • 人を使うには、長所を取って短所を捨てることが大事である。

     十八史略に、筍変を推した子思(孔子の孫)の話がある。
    子思が、衛公に筍変の登用を進言した。衛公は、「変は、かって吏たりしときに、民に賦して、人の二鶏子を食う。故に、用いず。」と、過去の行為が悪いと言った。
     子思、曰く、聖人の人を用いるは、匠の木を用いるがごとし。その長ずる所を取りて、その短なる所を棄つ。故に、淇杞梓連抱(きしれんぽう)にして数尺の朽(きゅう)有るも、良工は 棄てず。今、君、戦国の世に処り 二卵を持って干城の将を棄つ。

  • これ、隣国に聞かしむベからざるなり。」
    人を用いるのは、木を使うのと同じく長を取って短を棄てるのがよく、たかが卵二つで干城の将を棄てることは、ないのでないか

    「能を簡んで、これに任じる」(魏徴)が、大事である。
    少しくらいの欠点があっても、全体が良ければ捨てるべきではない。


    編集後記
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     「トリアージ」とは、フランス語の「trier(選別する、選り分ける)」に由来する言葉ですが、現在では救急医療や災害救援においても通常使われているようです。具体的には、災害や事故の現場で多くの傷病者が出た場合、治療の優先順位を付け、最悪の場合医療的には「見放され

  • る可能性もあるという選別が生じることです。最近では新型コロナ感染症での医療崩壊の危機に関連しその基準について、いろいろな議論があったと報じられています。海外では、早くからト
    リアージのロジックを拡張して、高齢者を中心に一定範囲の人々は「優先されない群」に振り分ける態勢をとっている国があるとも伝えられています。日本でも人工呼吸器の不足が懸念され、人工呼吸器を装着する患者の選択を行わなければならない場合には、災害時におけるトリアージの理念と同様に、救命の可能性の高い患者を優先する」とする提言もあったようです。

  • しかし、現実には、選別の基準はないようです。今後新型コロナ感染症がどのように推移する

  • かわかりませんが、少なくとも80歳以上の高齢者は「集中治療を譲る意志カード」を準備し、円

  • 滑な治療が行われるように協力するべきだと考えますが。

    今号もご愛読・寄稿などご支援ご協力有難うございました。(H.O)

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    第439号・予告
    【書  評】 佐藤孝靖  『室町は今日もハードボイルド ー日本中世のアナーキーな世界』
    ◇               (清水克行著 新潮社刊)
    【私の一言】 庄子情宣 『長寿と倫理観』
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         ■ ご寄稿に興味のある方は発行人まで是非ご連絡ください。
         ■  配信元:『評論の宝箱』発行人 岡本弘昭
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               MAIL:hisui@d1.dion.ne.jp