北条時政の後妻・りく(牧の方)は夫に讒言して源実朝を廃して自らの女婿・平賀朝雅を将軍に擁立しようと画策した。りくとその後を詳しく見て行こう。


りくは牧宗親の妹もしくは娘といわれ、鎌倉初期に生まれた名家出身の女性だが生没年は不明である。


北条時政の後妻となり、二人の間には政範と、平賀朝雅と宇都宮頼綱に嫁いだ娘がいる。


時政は先妻との子・義時や政子を含め全部で14人の子宝に恵まれている。


りくの父・宗親は源頼朝の助命を平清盛に嘆願をした池禅尼と兄弟ともいわれ、りくは都でも評判の美人で、上洛した時政が惚れ込んで結婚したと言われている。


北条政子に頼朝が寵女・亀の前を伏見広綱宅に匿って浮気をしている事を密告したのはりくで、政子は牧宗親に命じて広綱宅を破壊させている。


これを聞いた頼朝は宗親を召し出し、激怒のあまり自ら宗親の髪を切り取ったという逸話が残されている。


頼朝を支えて夫・時政が挙兵すると義時や政子と協力しながら影で夫を支え鎌倉幕府の成立に貢献している。


都での人脈が広いりくは、二人の娘を有力後家人の平賀朝雅と宇都宮頼綱に嫁がせ、時政の権勢を高めている。


頼朝時代には源氏による受領の独占によって北条氏は排除されていたが、1199年に頼朝が死去して孫の頼家が将軍に就任すると時政は伊豆と駿河の守護となった。


さらに時政は従五位下、遠江守に就任、源氏一門と同格に列する立場となっている。


頼家が乳母・比企氏の言いなりとなったため時政は義時や政子と協力して頼家を廃して弟・実朝を鎌倉幕府の第三代将軍に据えた。


りくは実朝の正室に大納言坊門信清の娘を迎えるため上洛、しかし最愛の息子政範を病のため16歳で失う。

政範は藤原定家が「近代の英雄」と称えるほどの英才で将来が期待されていた青年であった。


りくの悲嘆は想像以上に深く泣き暮らす日々が続いたために時政ら家族のものが心を痛めた。


りくの心には政範を亡くしたことで大きな変化がみられた。当時の相続によると嫡子を亡くした母親は夫時政が死ねば北条氏とは縁が切れてしまう。


つまり時政が没すればりくは路頭に迷う身の上となってしまう。そのためりくは時政存命中に自らの保身を図らねばならないとの焦りがあったと思われる。


そんな折り,1204年元久元年に畠山重忠事件が発生する。鎌倉幕府創建以来の名門後家人で政子の妹の子・畠山重保と、りくの女婿・平賀朝雅が京都で口論となり、その仲が険悪となる。


時政はりくの畠山氏に謀反の疑いありとの讒言によって、無実の畠山重保と父親の畠山重忠を誅殺してしまう。しかし畠山父子には全く謀反の形跡がなかったため義時は時政を糾弾する。


この畠山事件をきっかけに時政はりくとの連携を深め、義時や政子とは対立を深めていくのである。


さらにりくと時政は、実朝を廃して京都守護の平賀朝雅を将軍に据えようと計画、朝雅を第二の頼朝に仕立て上げて権力を掌握しようとした。


長年に渡って牧氏事件はりくが主導して時政に讒言したため起こったと見なされてきたが近年、時政が源氏を廃して北条氏の将軍を立てるための布石として実行したとの見方が注目されている。


頼朝を担いで挙兵して悪戦苦闘の末、やっと築いた鎌倉幕府では長年にわたり源氏以外は所領を受領出来ないという惨めな思いをしてきた時政は、いつか北条氏の将軍を輩出する事を夢に見ていたのかも知れない。


鎌倉時代には武士も公家に習って家臣が主君を饗応したが、頼朝時代に饗応役は源氏だけしか出来ないといった差別が厳然と存在した。時政は頼家時代になってはじめて饗応役に任じられている。


しかし頼朝との子どもを持つ政子や頼朝に重用された義時は、源氏と北条が共存出来るように、時政やりくとは違う別の道を選んだ。


政子と義時は源氏の御輿を担ぎながら、執権として実質的な権力を握る方法を模索するのである。


政子と義時は、時政とりくが実朝を殺害する恐れがあるため、実朝を名越の時政邸から義時邸に移した。


これを知った鎌倉の後家人たちはほとんどが政子と義時に付き従ったため、1205年元久2年7月、時政は引退を決意、即日直ちに出家している。


そして翌日に時政はりくとともに大人しく伊豆へ下向した。


平賀朝雅は政子と義時が差し向けた兵士によって京都で殺害されている。


時政は1215年建保3年、78歳で没するが、りくは1227年、京都で夫・時政の十三回忌法要を行っている。


内部抗争に明け暮れた鎌倉幕府だが、この牧の方事件以降、政子と義時が鎌倉幕府の実権を握り、幕政改革を押し進めていく。


しかしその行方には公暁が実朝を暗殺したため源氏将軍が断絶、さらに承久の乱では武家の北条氏が皇族の後鳥羽院を配流するという、日本史上初の革命とも言うべき歴史的事件が次々と義時と政子に襲いかかって来るのである。


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