上杉謙信は1530年、越後国(新潟県)の守護代 長尾為景の末子として生まれる。


小さな頃から武芸に優れ、周りの者を驚かせたという。だが父の為景には疎まれ、僧侶となるため幼少期は林泉寺で過ごした。


しかし1542年、為景が病没。兄の晴景が家督を継ぐが、病弱で統治能力がなく、国内が混乱したため、謙信は還俗。


1543年に元服すると翌年、15歳で豪族の反乱を鎮めた。


このため家臣に謙信擁立の気運が高まり晴景は隠居、謙信が家督を継ぎ春日山城主となった。


北条氏康に追われて鎌倉から逃げてきた関東管領の上杉憲政を助けたことから、以後北条氏と対立する。


1560年には北条討伐を実施。10万の兵で小田原を取り囲んだ。しかし信玄が川中島に築城を開始したため、やむを得ず引き返した。


1568年、北条氏と越相同盟を結び和睦。


1573年に信玄病没の報を聞くと、涙を流して惜しんだと言われている。


1577年、進軍して来た織田軍を手取川の戦いで、撃破している。


戦国時代、屈指の戦上手とされ「越後の龍」と恐れられた。義の厚く情にもろい謙信だが、無類の酒好きだったようで、死期を早めた。


1578年、脳溢血のため急逝した。享年49であった。


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