徳川家康の三河三奉行の一人


高力清長


その居城がここ幸田の地にありました





高力城の碑が建てられています


ほとんど遺構が確認出来ません







この碑がある辺りが城址だったのでしょうか


石碑も愛知県が良く建てている石柱様ではありませんね







常夜灯が建っている辺りから


右奥にかけてが城跡でしょうか


この裏は段丘になって低くなっていますから







城址碑の隣には神社が鎮座しています


高力神明社です


由緒書きの最後に高力城の事も書かれています


この辺りまで城址だったのでしょうかね







一段下がった南側が神明社の正面ですね


石造りの神明鳥居を潜り階段を登ります







鳥居の横の崖です


切岸の様になっていますね


この辺りが城跡の名残だと良いですね







この社には高力清長のひ孫高長が造らせた


大太刀が奉納されているそうです


清長自身も多くの太刀を神社に奉納しています






階段を登ります


上がると境内が広がり


拝殿がありますね







村社らしい建物です


高力清長は三河三奉行の一人として活躍しています


高力城の遺構はほとんどありませんが


この地を治めていたことは確かですね