武田信玄 が 遠江 に攻め込み 徳川家康 と
戦います
拠点の 二俣城 を 落した 信玄は
家康を城から誘い出し 野戦に持ち込みます
その戦いが 三方原の戦い なのですね
両軍 合わせて 約四万人が 展開し
戦った その場所は 特定できていません
その為 多くの場所に 戦いの碑が
建てられています ( ̄□ ̄;)
一番南にある 犀ヶ崖 と言う所です
森の部分は 深い崖となっています
ここに 布の橋をかけて 追ってくる 武田の兵士を
崖へと落したという 伝説があり
地名として 布橋 が残っています ((゚m゚;)
そこに建っている 三方原古戦場 犀ヶ崖の碑 です
犀ヶ崖のすぐ北には 夏目二郎左衛門吉信 の碑もあります
戦いに負けた 徳川家康 を 討つ為
武田軍は ここまで 追跡してきます
死を覚悟した家康を逃す為 夏目は 身代わりとなって
討ち死にします
その時の様子が 碑の後ろに書かれています
徳川軍の大敗でした
北へ向かうと 三方原墓園 があります
その駐車場の一角に 三方原古戦場 の碑があります
その文字は 徳川宗家 第18代当主 徳川恒孝 が
書いていますね
この北には 武田軍が三方原台地を下りて行ったという
祝田の坂 があります o(^-^)o
三方原台地 を斜めに横切って 姫街道 と
言う道が通っています
その道が 台地を下る直前の所に
碑があります (*^o^*)
史蹟 と書かれています
ここを降りて行くと 細江の町があります
そこで 武田軍は 年を越したと言われていますね
三方原台地のほぼ真ん中にあるお寺です
その境内に 精鎮塚 という 碑があります
三方原の戦いで 亡くなられた方を
供養した物です p(^-^)q
今でも 供養が続いていますね
大きな戦いであった 三方原の戦い
三方原台地はひろく その戦いの場所は
特定されていません
そして ここの地質は 酸性土壌の為 金属は
その形を長く留めて置く事が できません
遺物が見つからないのですね
その為 いろいろな説が出てきます
面白いですね (`∀´)