戦前の日本では各地に軍隊が駐在しており、岡山市でも、現在岡山大学津島キャンパスがあるあたりに歩兵第五十四連隊が兵営を構えていました。


本連隊は日露戦争中に編成され、約20年後のいわゆる宇垣軍縮で一旦廃止されたものの、日中戦争勃発に合わせて再編成されます。

今回の記事では、そんな部隊の創設から軍縮で廃止されるまでの流れを絵葉書を交えながら紹介します。


【歩兵第五十四連隊 正門より出発の光景(意匠画付き】


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日露戦争2年目に突入した明治38年4月に編成され、6月13日に軍旗を拝受しました。編成後すぐの7月には満州への派遣が命令され、第三軍の隷下に入ります。


しかし9月に戦争は終わり、戦火を交えることのないまま関東総督の下で明治40年まで満州守備の任務に。日本への帰国後は鳥取の歩兵第40連隊留守隊として駐屯していました。


その後、津島の地に同連隊の兵営が設置されることになり、明治41年4月に兵舎が完成。10月になって岡山に移転してきました。


【岡山第十七師団 歩兵第五十四連隊】

同時に入手できた他の部隊の絵葉書では、工事の資材が散乱していたり、岡山移転に合わせた市内凱旋を写っていたりすることから、こちらの写真も同連隊が岡山の兵営にやってきてからそれほど日が経っていない頃の様子だと思われます。



ちなまに、正門のあった場所は現在岡山大学職員寮の入口に。現地には遺構として門柱が残ります。門以外の建物等は残っていません。




こちらの門柱、絵葉書では煉瓦造りですが、現在の写真はモルタル塗りで、一見別のものに見えます。


このような差異があるのは、本連隊の廃止後、この地に駐在していた歩兵第10連隊の時代に煉瓦の上からモルタルが塗られたからだと考えられています。


というのも、こちらの門柱、最下部に花崗岩製の礎石がみられ、その上にモルタル塗りの門柱がのる構造となっています。

しかし、モルタル部分は礎石よりも大きく、また、モルタル塗りの門柱の底辺と礎石の辺が平行していません。

これは、礎石とモルタル塗りの部分が一連の工程のもとに製作されなかったこと、すなわち、モルタルが後から塗られたことを示すと考えられています。



...後から塗られたというのがもっとはっきりわかる例が正門から少し離れた地に。


こちら、本連隊の通用門の遺構ではないかとされている門柱です。


こちらも一見モルタル塗りですが、近づいて見ると剥げている箇所から煉瓦が顔を覗かせています。





さてさて、遺構の話はこれまでとし、この地にあった兵営での暮らしの様子が垣間見える絵葉書をいくつか紹介します。


【(歩五十四)軍隊生活 室内点呼】

気をつけの姿勢が揃っていて爽やかですね。


【(歩五十四)携帯天幕使用ノ情況】


【(歩五十四)軍隊生活 酒保】

酒保とは軍隊に設置された売店のこと。軽食の他、絵葉書なんかもここで購入できたようです。

上部には売り物の料金表があり、拡大すると一部が読めます。






岡山の地に連隊がやってきてから約2年後の明治43年、岡山で陸軍特別大演習(天皇が参加する演習で、一年に一度のペースで毎年場所を変えて開催)が実施されます。


【陸軍特別大演習 大元帥陛下岡山駅御着輦十一月十二日】

山陽新報社発行。明治天皇が岡山に到着した際に撮影されたもののようで、右側に映るのは初代岡山駅舎。



本連隊も西軍第二軍の戦闘序列に入って演習に参加しました。


【歩兵ノ伏射撃(備中真金村付近)】

参加した兵士の様子その1


【機関銃隊射撃(備中加茂村惣爪付近)】

参加した兵士の様子その2






その後、第一次世界大戦真只中の大正4年から6年にかけて、連隊は満州駐剳勤務に服します。一部の兵力は青島や朝鮮にも派遣されました。


【満州駐剳歩兵第五十四連隊天長節祝日観兵式ノ光景】


【奉天駐剳隊第五十四連隊第三大隊軍旗祭余興 徒競走)】

軍旗祭とは、連隊の象徴となる軍旗を拝受した日を記念として開催されるお祭りのこと。地元住民も見物に来る中で兵士が出し物や仮装なんかをします。




軍旗祭繋がりで、満州駐剳を終えた後の軍旗祭の様子がわかる絵葉書があるので紹介。

【大正七年度歩兵第五十四連隊軍旗祭記念(軍旗と連隊長)】


【大正七年度歩兵第五十四連隊軍旗祭記念(余興人梯競争)】

組体操が完成する速さを競ってるみたいですね。





その後、大正14年第三次軍備整理(いわゆる宇垣軍縮)により、同年5月1日をもって連隊は廃止。5月21日に軍旗を奉還し、連隊の歴史は一旦幕を閉じることとなりました。



なお、廃止された連隊の兵営跡には、姫路から歩兵第十連隊がやってきます。


【歩兵第十連隊 第五十三回軍旗拝受記念】

昭和2年の軍旗拝受記念の日(12月18日)に発行された絵葉書だと思われます。

デザインに岡山の地図が採用されており、郷土連隊らしさが強く出てていいですね。



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いかがだったでしょうか。歩54の絵葉書はちらほら見かけるのでその都度購入してるのですが、その中でも選りすぐりのものピックアップして載せてみました。


太平洋戦争時の連隊の歴史は比較的フォーカスされやすいのですが、明治・大正期の地方の連隊については、当時の存在感の割にはあまり注目されていないように感じます。

各地の郷土連隊の絵葉書は意外とたくさん残されていますよ。ぜひみなさんも、自身の郷土にまつわる軍隊の絵葉書を見つけたら手に取ってみてください。



○参考文献

岡山県(1966)『岡山県郷土部隊史』岡山県郷土部隊史刊行会

岡山聯隊写真集編纂委員会編(1978)『岡山聯隊写真集 : 精鋭二十万、栄枯七十四年の光芒史 (聯隊写真集シリーズ ; 3)』国書刊行会

野崎貴博,津島岡大遺跡の研究,岡山大学埋蔵文化財センター紀要2005,2007-3