岡山市を流れる旭川にかかり、市街地と西中島を結ぶ京橋。
京橋は何度も架け替えられてきたものの、岡山開府から400年近く存在していると言われています。
現在は1917年に架けられた鉄筋コンクリート製のもの。実は100年以上の歴史があり、同年3月25日には壮大な開通式が開かれました。
そんな現在の京橋の開通式の様子を捉えた絵葉書が手元にあるので、詳しく見ていこうと思います。
——
袋付きで、中の絵葉書は5枚。
袋と5枚中3枚は下之町に店舗を構えていた絵葉書屋、川崎国旗堂製が発行したものです。残り2枚の絵葉書は、様式から判断するに国旗堂以外による発行のもの。
絵葉書の由縁を調べていたところ、大正6年3月27日の山陽新報に“盛んに女子供を集め橋付近にて鬻ぐ新京橋の絵葉書は地方出の人々が郷里への土産にもと羽が生えて飛ぶ景気よさ”だったとの記載が。
今回紹介する絵葉書も開通式の現場で盛んに売られていたものではないかと推測しています。
1 式に臨む神官
東側から市街地のある西側を向いて撮影したもの。
開通を祝うアーチや街灯の装飾がバッチリ確認できます。
2 神官による神事
午前中に行われた神事のワンシーン。
3 小学児童
午前中に神事が終わり、午後からは渡り初め。
関係者が渡り終わったあとには小学児童が続いて渡ることになっていたんですが、なんと約一万の児童が集められたとか。
小学生の渡り初めだけで1時間弱近くかかってます。
4 橋上の三代夫婦
渡り初めの際、親・子・孫の三代分の夫婦が揃って橋を渡る儀式があるみたいですね。(今回調べるまで知りませんでした。)
京橋の渡り初めでも三代夫婦が選出され、式典に参加していたことが確認できます。メンバーについては下記画像の通り。検索避けのため文字起こしはしません。
5 一般開放後の京橋
午後1時ごろには諸々の式が終わり、一般市民の渡橋が解禁されました。とはいえ各人が自由に渡ると大変な混雑が予想されたことから、警官を配置して左側通行のルールを設けられたようです。
それを踏まえて絵葉書をご覧ください。ルールがきっちり守られていたことがわかりますね。
——
岡山にまつわる時事的な絵葉書は少ないので、今回紹介したものも貴重なはずです。
また、岡山に住んでいた頃に京橋は時々利用していたこともあり、馴染み深い風景の100年前の姿が確認できるという意味でも大事にしている絵葉書です。
参考
・山陽新報大正6年25.26.27日
・岡山市 (10月~12月)「明治150年 岡山の京橋 ~幕末、明治から大正へ~」