今回取り上げるのはこの一枚。この絵葉書から読み取れる情報を少し掘り下げてみたいと思います。


使用済み絵葉書:備前児島郡琴浦村 土岐工場




謹賀新年と書いてあることからもわかるように、年賀状として使用されたもの。消印は明治45年(1912年)1月1日。



まずは絵葉書面の情報から掘り下げていきます。

まず左上の人物は、このハガキの差出人でもある土岐猪三郎。1904年(1906年とする資料もある)に家業の中心となる染色工場を起こしました。町会議員の経験もあり、まさに地元の名士って感じですね。




次に絵葉書右上の人物は猪三郎の長男、壽太郎。



1878年に生まれた彼は1911年に工場を引き継ぎ、家業を発展させていきました。また、父と同じく町会議員歴がある上に、1920年からは町長をも務めたすごい人物。1937年に没するまで地元や繊維業界の発展に尽くしました。



絵葉書のキャプションにある土岐工場とは、そんな彼らが経営していた工場の総称だと思われます。

(染色工場のみを土岐工場と呼んでいた可能性もある。)




彼らは他にも巻ゲートルの生産や生地の仲買等をしていたのですが、染色業と同じくらい力を入れていたのが足袋の生産業。「ふくい足袋」の名で琴浦産の足袋を売り出していました。

いつ頃から生産していたのかは不明ですが、遅くとも1907年には生産しており、大正中期ごろには九州・中国・伊予あたりに販路を伸ばす程には発展していたみたいです。


(足袋を生産していたことがわかる、確認できた中で最古の記録。商標のデザインには縁起の良さそうな福の神を起用していた。)



製造当初は「福壽足袋」で、大正初期頃になって「ふくい足袋」の名称に変更されたのだと思われます。










次は宛名面について見てみましょう。




神戸の光村印刷株式会社印刷とのことで、都会のしっかりしたところに注文していますね。


宛先は「備中船穂 小野直商店御中」となっています。住所をもう少しわかりやすく表記すると、岡山県浅口郡船穂村の小野直商店。



こちらもまた足袋の生産業者。「よろづや足袋」の商品名で船穂産足袋の製造をしていたところです。

元は「萬屋」の屋号でやってたようですが、1907年に「小野直商店」と屋号を変更しています。そして1916年には「合名会社小野直商店」になり、1919年には「株式会社よろづや」になっています。



では実際に誰が経営していたのかという話。

ここは、小野直商店という屋号からわかるように、小野一族が経営していました。




明治末期から大正にかけての主要な人物は3人。






まず一人目は、小野直商店の基礎を築いた小野直吉。彼が1872年に創業したことが、船穂における足袋生産の全ての始まりにもなったと言われています。1877年の西南の役によって足袋の需要が高まったところ、それに応えることでよろづや足袋の名声を高めることに成功しました。1917年没。


(彼宛の絵葉書。消印は明治45年(1912年)。)





そして二人目は、彼の長男にあたる小野竹三郎。



彼は父から家業を継承。足袋の生産以外にも同業組合やいくつかの会社の重役を務めたほか、郡会議員・町会議員・船穂町長を歴任。1944年没。




(彼宛の葉書。消印は大正4年(1915)。)




そして三人目は、竹三郎の弟にあたる小野春治。





以上の三人が中心となっていました。







宛名面と絵葉書面の両方を合わせてこの一枚を見てみましょう。



戦前の岡山において、児島郡琴浦村と浅口郡船穂村は足袋の2大産地でした。そんな琴浦の産業界を代表する土岐家と、船穂の足袋産業を代表する小野家同士で繋がりがあったのは興味深い事実です。

お互いに足袋の生産をしていてライバルには違いなかったでしょうが、同業同士通じるものも多かったのではないかと思います。議員・町長を排出したり地元の産業界を引っ張っていったりと、共通点も多いですしね。交流があったというのにも頷けます。



とはいえ、まだまだ謎も多いこの二つの家系。今後も関連資料はウォッチしていきたいです。




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おわりに



今回この絵葉書を取り上げた理由の一つとして、宛名面に情報のある小野一族について紹介しておきたかったことが挙げられます。

というのも、最近の絵葉書取引市場において、この小野一族宛のものが大量に出てきているのです。今回の記事で紹介した葉書の多くも、大阪と東京の催事で確保したものになります。彼らの子孫が家で埋もれている葉書の束を発見し、それを業者に買い取ってもらったのが少しずつ広まっているんでしょうね。



この一族関係の葉書を持っている方向けのメッセージになりますが、受取人が足袋の生産をしていた一族だというのを踏まえてその一枚を眺めてみてください。何か新しい発見があるかもしれませんよ。




参考

岡本岩松編(1922)『岡山県児島郡案内』児島郡案内誌編纂会

船穂町誌編集委員会編(1968)『船穂町誌』船穂町

実業の世界 1916年6月1日號

大阪朝日新聞岡山版 1918年12月20日