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クリスティーナ女王

スウェーデン女王・クリスティナ

中世ヨーロッパ史の表舞台で活躍したスウェーデン女王・クリスティナ。欧米では「レズビアンであった女王」として有名ですが、日本ではあまり名前を知られていないようでアリマス。

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「クリスティナ女王って、ビアンっていうよりトランスセクシャルなんじゃない?」と仰る御仁もおられますが、まぁ、同性愛とトランスセクシャルのボーダーはエテシテ曖昧で、グラデーションしているモノでありんす。ま、ここはレズビアンとして紹介させて頂きやしょう(もしかしたらトランスセクシャルかもヨ~ンってコトで)。

父王は、かのナポレオンが「歴史上の戦略家7傑」に数え上げた北方の獅子王、グスタフ・アドルフ。この父王の戦死によってクリスティナがスウェーデン皇帝に即位したのは、わずか5歳の時でした。


歴史の授業で習えなかった同性愛-2
グレダ・ガルボ主演の映画「女王クリスチナ」では、女王と侍女とのキスシーンなんかも出てきます。TSUTAYA新宿店で借りられるよん♪




♀♀が国を動かすとき

18歳で本格的に国政統治をはじめた、女王クリスティナ。
父王の代から長びいていた「30年戦争」の終結にむけて外交官達を指揮し、最後にはスウェーデンにとって非常に有利な講和条約(ウェストファリア条約)を締結するという偉業を22歳の若さでやってのけます。
北ドイツの広大な地域がスウェーデン領となり、スウェーデンはバルト海をまたにかけた大国に。

高名な父王のせいもあってヨーロッパ中から注目されていた彼女ですが、この条約締結で政治的手腕を各国に知らしめることになります。そして、ドレス姿を拒否して常に男装し、花婿候補達を次々とはねのけていることも、周知の事実となるのでありました。

歴史の授業で習えなかった同性愛-3
映画ではスペイン大使の男性と情熱的な恋に墜ちるストーリーとなっておりますが、スウェーデン政府から抗議を受けたとか。。。





結婚を拒否して、あっさり退位

とにかく女王様は、毎日毎日睡眠を削って本を読みあさるほどの知識欲の持ち主で、勉強の虫。

ラテン語・フランス語・スペイン語に通じ、文学・芸術への理解も深く、「北欧の才女」というヨーロッパ中の評判。また、芸術作品の蒐集への情熱は凄まじかった。とにかく金に糸目を付けずに、美術品を集めまくり。三十年戦争終結の間際にプラハを攻撃し、そこに集められていた敵側の皇帝の美術コレクションをゴッソリ略奪させた(いいんかい!)ことは有名でアリマス(自分の身なりには無頓着だったらしいが)。

ところが、そんな彼女が事実上の統治開始から10年(正式な戴冠式からわずか1年ですってよ!)で、アッサリと「女王やめます宣言」。突然の退位に、ヨーロッパ中がド肝を抜かれました。
当時のスウェーデン国民のほとんどが、「世継ぎ誕生のための結婚を拒否するため」の退位だと知っていたそうでアリマス(「結婚しません宣言」もしていたから)。


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哲学者デカルトはクリスティナの犠牲者?

ちょっと、セクシュアリティとはカンケーないんだけど、旺盛な知識欲のクリスティナと大哲学者デカルトとのエピソードがオモロイので、ちょっと御紹介しますね。


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「我思う、ゆえに我あり」という偉大なフレーズを遺した大哲学者・デカルト


■オドシ同然で招致

フランスに旅行した際にデカルトの哲学に心酔したクリスティナは、ものすごい情熱で彼をスウェーデンに招きます。デカルトは「もう寄る年波(50歳)なので。。。」と断りましたが、知識欲のためなら手段を選ばないクリスティナは1649年、とうとう海軍の軍艦を仕立てて特使をフランスに派遣し、デカルトを招きます。

「ここまでされちゃぁね。。。」と、デカルトはトホホのホでストックホルムへと向かうのでした。

まんまと憧れのデカルト大先生をゲットしたクリスティナは、大ヨロコビ!毎日のように、大先生のナマ講義三昧とデカルトをひきずりまわすのでした。



■デカルト大先生、受難

クリスティナは国政を統治するという激務のかたわら、睡眠時間も削って勉学にいそしむというトンデモネー勉強のオニ。講義は常に、早朝に行われました。朝5時(って、一日のうちでイチバン寒い時間ぢゃん)厳寒のストックホルムを、デカルトは宮殿まで歩いていって講義をしなければならず、昼近くに起床していた今までの生活とは大チガイ。

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アルフレド・ベリストレーム作「冬、ストックホルムのシェップスホルメン」(1888年)ストックホルムの冬は湖もカチンコチンに凍ります


ストックホルムに来て数ヶ月後の翌1650年、デカルトは風邪から肺炎を併発し、そのままクリスティナに看取られながら天国に行ってしまったのでありました(ま、デカルトもスウェーデンに来たことで代表作「情念論」を書き上げることが出来たんだけど)。

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クリスティナがレズビアンだという証言は、テンコ盛り

退位した後、国教である新教(ルター派)からカトリックに改宗したり(父王は新教徒のためにカトリックと戦って命を落としてるんですが)して、またまた世間をアッと言わせたクリスティナ。その後も、フランス・スウェーデン・ローマ間を行ったり来たり。ローマに壮大なリアリオ宮殿を建立したり、多くの芸術家・学者・音楽家のパトロンになったりして常に注目の的となるのでした。
歴史学者のリリアン・フェダマンは、「数々の証言から、女王クリスティナがレズビアンであることは間違いないでしょう」と述べています。どんな証言があるのか、一部を御紹介しましょう☆




■とにかく、ハデに言い寄っていらっしゃいました

ギュイーズ公爵 モンパンシェ令嬢(仮名)
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陛下が♀♀でいらしたことは、疑いようもありませんわ。だって、アッチの女、コッチの女と、石○純一のように口説き倒していらっしゃいましたもの。それも、かなり強引に。陛下がいつか、フランスの外務大臣を処刑なさったことがありましたの。理由は、陛下がナポリを攻め落とそうという野望を抱いていたときに共謀していたのが大臣だったのですけれど、それを裏切ったからとか。でも、「ホントの理由は、♀♀であることをアウティングされそうになったからだ」って、もっぱらのウワサですのよ。フランスの方々も、陛下にはビビッていらっしゃるとか。ほほほ、おそろしいですわぁ~~~。




■ラブレターを頂いたのですが

エバ・スパールさん(仮名)
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陛下は、街中にもたびたびお出ましになりますし、わたくしも宮廷への出入りを許されておりますもので、陛下にはお目にかかる機会もございました。勿体なくも、陛下より旅先からお便りを賜ることもございます。
「私は12年間、貴女の虜だ。私がどこにいても、私の心は貴女のもの。この愛に終わりがあるとしたら、それは私が死ぬときだ。」

手紙など誰ぞの目に触れぬとも限らないものでございますのに、あまりにも♀♀チックなお便り。お控え遊ばすように、恐れながらご進言申し上げました。え? 陛下とわたくしの肉体関係でございますか?
言えるわけねーだろ、そんなもん。





■ケダモノのように力ずくで

パラティン王女(仮名)
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スウェーデンでもフランスでも、またローマでも、高貴な婦人達は「ビアンごっこ」のような言葉のやりとりを交わすものです。ですが、陛下だけは大マジでいらっしゃいましたね。なんにつけ、「狙った獲物は逃さない」というタイプの方でいらっしゃいますのでね。

いつぞやか、ブルニー令夫人を押し倒して、強引になされようとなさったことがありましたの。夫人も「すんでのところで餌食になるところでしたわ」と申しておりました。餌食だなんて、まるで、ケダモノでございますわね。
夫人が大騒ぎしたものだから、事態を収拾するのに苦労をした者が大勢おりますのよ。生娘じゃあるまいし、黙ってりゃ、わかりゃしないものを。とにかく陛下は、おそろしい♀♀でいらっしゃいました 。私も、正直申しましてヤバさを感じておりましたの。





知と美と自由に生きる

まぁ、当時の人々からもけっこうイロイロ言われちゃってるカンジのクリスティナ女王ですが、「欲しいものはゲットするっきゃないんだから、言われちゃうぐらいイイわよ」という姿勢を一生貫いたのは、アッパレなカンジ。イロイロ言われちゃうのを恐れてガマンして愚痴るぐらいなら、「言われちゃうぐらいナニよッ」って気持ちでトライしてみればどうなの。。。。というメッセージを、彼女の生涯を調べていて強く感じた歌川なのでありました。

彼女が余生を送った居城リアリオ宮殿には、彼女が世話をした芸術家・学者・音楽家達が常に逗留していました。クリスティナから窮状を救われた彫刻家・ベルニーニは彼女に一生頭が上がらなかったそうです。ローマで現代でも隆盛を誇る「アルカディア・アカデミー」を創立したのも、クリスティナ。ローマで初めてのオペラ劇場を建設したりもしました。また、特に有名なのはローマ在住のユダヤ人の後援に力をそそいだことです。自由を守るためには武力行使も辞さなかったとのこと。

彼女はいま、イタリアのサン・ピエトロ大聖堂で眠っています。「ピエタ」像のそばに記念墓碑が建てられているとか。クリスティナを称えて「北方のミネルヴァ」と記念碑には記されています。ミネルヴァとは、知と学問の女神(ギリシャ神話だとアテナ)です。

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ローマ観光の目玉のひとつ、サン・ピエトロ大聖堂