私が3級審判となり、1年半ほど経ちました。次男がまだ小学校5年生の時です。
そもそも、その前の年にサッカーの試合で骨折し、少年団引率も試合観戦もできない状態になりました。
本来するべき親としての責任をほとんど全うできず、他のお父さんお母さんにたくさん迷惑を掛けてしまった訳です。

そろそろ脚も復調した来た頃、毎年行われる羽生市長杯参加のため正月三が日の2日間審判として参加したんです。
そこでお誘いいただいたのがきっかけで「3級審判」を目指しました。

元々がプレイヤーなので、審判にはまるで興味がなかったのですが、先述のようにご迷惑をお掛けした皆さんに「お返し」の意味で、またどうせやるなら取れるところまでという二つの思いを持ってトライしました。
色々な方からの協力がなくては当然取ることはできなかった資格ですから、次男が6年生の試合は参加できる時は全て出席しました。

偉そうに参加させてもらい、大した審判でもないのに持ち上げていただいた方々にはホント感謝です。

長くなったので、またの機会に