三代目は黄金がお好き? | 歴史考察とっきぃの 振り返れば未来

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歴史家とっきぃです。

 

長く続く王朝は三代目がしっかりしています。三代目が軌道に乗ることで王朝は盤石になります。今回はそういうできの良い三代目のお話です。できの悪い方は「会社 倒産 三代目」で検索してください。

あと三代目とは関係ないですが、日本マクドナルド社長だった藤田田(デンと発音してください)は一時期、長男を投入していました。しかし「カツカレー」だの「マックチャオ(炒飯)」だの藤田の経営理念から外れたことばっかりするので、慧眼なデンは早急にバカ長男を外しました。藤田デンの経営理念は「食で日本人を金髪に変える」ですから。

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三代目といえば、徳川三代将軍家光です。もとが神経が細い質(たち)で自殺未遂を図ったこともあります。実母の春日局や家臣の支えで立ち直ることができました。父、大御所秀忠の亡き後は松平伊豆守や阿部豊後守といった有能な政治家を活用して、参勤交代や海禁制度を断行します。

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参勤交代は室町幕府の弱点であった守護大名の「定府」制度を改良したものです。これで大名家と領地のつながりができますから、地元にも顔が利くようになり、下克上の成功率はかなり低下します。また、大名行列によって街道の宿場町も繁栄するので資本の循環ができるのです。また、江戸の最先端の情報や知識が地元に流れることで文化が均質的になります。殿様も殿様で江戸城中にて大名同士情報交換をしてそれはそのまま藩邸でフィードバックされます。殿様は大体が「江戸語」を話しますので情報の伝達は容易だったと推察されます。

海禁制度は、一神教の浸透を未然に防ぐためです。信長がせっかく一向宗門徒を平定したというのに、宗教戦争の新しい火種が持ち込まれるのは困るのです。それに寛永年間といえば17世紀前半です。小寒冷期で欧州は戦争とペストの時代です。隣りの大明帝国も斜陽で北の女真族に押されていました。要するに開国しても学ぶことなどなかったのです。遣唐使を廃止したのと同じ理由です。それでも民間交流として中国商人は長崎に訪れています。朝鮮や琉球とも国交はあります。キリスト教を持ち込まないという前提でオランダとは付き合っています。結果として、日本国内の文化は醸造されて独特のクールジャパンが成立しました。

また、貨幣制度でも寛永通宝を発行するなど庶民向けの財政政策を家光将軍はおこないます。

この家光将軍は一方で金ピカ趣味があり、日光の輪王寺大猷院廟は京都の金閣、平泉の金色堂と併せて、日本三大黄金建築を謳われています。大猷院廟と近いくらい金ピカなのが上野東照宮です。

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大猷院廟と配色がそっくりです。上野東照宮は神君家康公の他、吉宗将軍と徳川慶喜が祀られています。

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室町幕府の三代将軍は「一休さん」(東映)でおなじみの足利義満です。彼の有能ぶりは拙著『西の都の物語 西国政権の限界と突破口』(ミニ電子書籍)にありますので、良かったらご賞味ください。もうすぐAmazonにならぶ予定です。著者は「田島裕司」さんです。

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この人もまた金ピカ趣味で金閣を造営します。金閣というのは義満が将軍職を息子の義持に譲ってから造営した北山第にあります。金閣は相国寺の塔頭です。相国寺もまた、義満将軍が創建した臨済宗の名刹です。百メートルを超える七重塔でも有名です。何でも巨大で豪壮なのが三代目の本質なのかもしれませんね。

 

巨大で豪壮、金ピカといえばヴェルサイユ宮殿。この宮殿を造営したのもブルボン王朝の第三代である太陽王ルイ十四世です。

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父親のルイ十三世の狩猟館に付け足す形でどんどん建物を増やしていきます。内装はシャルル・ルブランが仕上げました。ヴェルサイユ宮殿は見かけはどちらかと言えば静かです。派手さがありません。しかし室内に入ると部屋中が絢爛豪華そのものです。ドアノブまで凝っています。木枠でつくった床は石造建築特有の底冷えを遮っています。また、あちこちに貼られた鏡により照明効果と温暖化が図られており、輝いています。ル・ノートルの造営した幾何学模様のフランス庭園もすばらしいですが、光り輝く宮殿内部もまた美しいです。太陽王の事跡についてはこれまでも記事に書いています。フランスとフランス語をヨーロッパのスタンダードにまであげ、「宮殿」で世界を制覇しました。これを真似して「服飾」で欧州を制覇したのがご存知マリー・アントワネットです。

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また、ブルボン王朝の一つ前のヴァロワ王朝の三代目も素晴らしい。賢王シャルル五世です。拙ブログの中世史講座でも扱いましたが、時代を超えた頭脳で百年戦争を有利に導きました。この人も線が細い人で、体育系の父親ジャン二世とは馬が合わなかったようです。この親父が捕虜になったのを「奇貨」として臨時税収の摂取を断行、これを常態化させることによって王国を立て直します。要するに名目上は身代金徴収でしたが、国王開放のためには税金は投入されませんでした。「騎士道の華」を気取るバカ親よりも国政を優先させたシャルル五世まさしく賢王です。

ルーブル城をパリの西端に築城しました。後のルーブル美術館です。現在でもルーブルの地階でシャルル五世当時の城壁が見れます。黄金趣味でこそありませんが、書物の装飾にはこだわったそうです。そのあたり、フランス王家空前の秀才らしいこだわりですね。

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もう一人、ムガール帝国の三代目、アクバル帝がいます。父親から受け継いだローカル政権を実質的な帝国にまでのし上げた傑物中の傑物です。陰謀渦巻くデリーからアグラに帝都を遷(うつ)します。このアグラに城塞を築き、白大理石の宮殿をこしらえます。

宗教対立を抑えるために異教徒への人頭税を廃止したり、検地をして土地の作物の実りに応じて税金を決めるなどの善政を敷きました。現在でも地元では人気のある名君です。黄金趣味こそありませんでしたが、大理石に囲まれたインドのヴェルサイユに居住しました。

 

アケメネス朝(ハカーマニシュ朝)ペルシャ帝国の第三代はダレイオス一世です。オリエントを統一した先代、カンビセス王の衣鉢を継いでペルシャ帝国最盛期を現出させます。全土を分割させて知事(サトラップ)に統治させ「王の目王の耳」という公儀隠密を送って見張りをさせるなど抜かりもありません。壮麗な都、ペルセポリスを造営します。このペルセポリスは祭儀用の都だったようで、実質的な政務はこれまでのスサの都でおこなっていたようです。また、夏はエクバタナ、冬はバビロンと使い分けています。アケメネス朝を凌ぐ領域国家はこの21世紀まで中東には現れておりません。

多民族国家を統治するノウハウを確立させたのがダレイオス一世でした。

 

とまあ、できの良い三代目は他にもいっぱいいると思われます。

トーマス・ジェファソンもその口かもしれません。

 

当記事で採り上げた君主たちには面白い共通点があります。拠点を前政権下の都から移していることです。ルイ十四世はパリからヴェルサイユへ、義満将軍は京都中心部から北山へ、シャルル五世はシテ島からルーブル城へ、アクバル帝はデリーからアグラに、そしてダレイオス一世はペルセポリス造営です。もっともダレイオス王はすぐにスサに戻りました。家光将軍は江戸そのものが造営中だったこともあり移動する必然性がありません。幕府自体が西から東へ移動したばかりでした。

堅実な内政もまた共通項です。絢爛豪華な建築物もそうですね。

そして贅沢を担保したのが真摯な政治姿勢です。

三代目ではありませんが、実質三代目がしっかりしていれば王朝も長く続きます。前漢帝国やローマ帝国がそうです。

 

例外として、できの良い三代目にもかかわらず、事業を続かせることができなかった例を述べておきます。奥州藤原氏です。三代目は傑物の藤原秀衡です。十円玉でおなじみの平等院鳳凰堂を凌ぐ無量光院を創建するなど、黄金趣味です。

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常に冷静沈着で平清盛からも一目置かれていました。しかし、彼が逝去して息子の泰衡が継ぐと平泉の繁栄も終了します。四代目は平穏無事な治世の中、世の中を見る目が曇っていたのでしょう。頼朝の奸計に引っかかって滅亡します。「勝って兜の緒を締めよ」は至言です。三代目がうまくいったからといって油断してはいけないというエピソードでした。

 

ダメな三代目でしたが、文化的に事跡を残した人もいます。鎌倉幕府の第三代源実朝です。

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歌人として名を残しています。百人一首では鎌倉右大臣と称されています。箔をつけることに懸命になって東国武士の不信感を集めます。指導者に何より必要な俯瞰という徳目が欠如していました

悪いのは彼を甘やかしたじぃ(大江広元)です。

 

21世紀の中小企業三代目がMBAとか米国留学で箔をつけるのと同じです。「オレさぁ、アメリカ留学したんで味噌汁なんてダサくて飲めないぜ〜」なんて軽口を重役さんたちに叩いていたら、その会社は危ないかもしれません。

 

できの良い三代目のお話でした。

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