現在の研究状況では、日本語は「孤立語」(isolated language)、つまり世界の他の言語との親戚関係が証明されていない言語というしかないようですが、ただし、証明されていないからといっても、親戚関係がないということも証明されているわけではありません。日本列島やその周辺では、アイヌ語、韓国語(朝鮮語)、ニブフ語(ギリャーク語)などが孤立語とされていますが、これらはみな統語論上、膠着語(agglutinative languages)と位置づけられています。このうちアイヌ語は、かつて金田一京助氏によって膠着語と異なる「屈折語」とされていましたが、私の意見では、膠着語と屈折語とは必ずしも矛盾するわけではなく、膠着語の中に屈折語の型と非屈折語の型という2型があると言ってもよいように思います。
さて、この屈折語の型とかなり異なるのが、漢語(中国語)やタイ語、南太平洋で広く話されているサモア語などのオーストロネシア系の諸言語です。これらの言語は、いくつかの共通した特徴を持ち、それらの特徴は、(1)単語の変化(活用や曲用)がまったくないか、(あっても)かなり少ないこと、また(2)述語が文の最後に来なければならないという規則が欠如していること、(3)印欧語のように前置詞やそれに類した助詞(prepositional particles)が用いられること、などにみられます。
漢語に英語のような前置詞があるかどうかは、微妙な点かもしれませんが、少なくともそれと同じような働きをする助詞があることは否定できません。念のために、2例あげておきます。
I walked from the station to his house. (英) 我从车站走到他家. (中)
I cut the apple with a knife. (英) 我用这把刀切苹果. (中)
たしかに、中国語の「到」や「用」などは、前置詞というよりは、動詞的であり、英語に直訳すれば、reaching, usingのような意味合いを持っているかもしれません。それでも、統語法からみた構造としては、動詞が常に目的語の前に置かれるという点で、中国語は英語にはるかに近いように感じられます。また中国が長い歴史を通じて北方の遊牧民族の影響を受け続け、言語史の面では、遊牧民族の膠着語の影響を受け続けてきたことは言うまでもありませんが、動詞+目的語、前置詞(的なもの)+目的語という語順は、厳守されてきました。
中国語が北方の遊牧民族の言語(膠着語)から受けた影響としては、「把」の使用があると言われています。これは、動詞の前に目的語を置くことを許すために使用されはじめた用法で、例えば次のように用います。
彼はリンゴを切った。He cut an apple.
他 切了 一个苹果。
他 把一个苹果 切了。
しかし、この用法でも、「把」は「一个苹果」の後に置かれるのではなく、前に置かれることに注意しなければなりません。
有史時代に入ってからも、中国の北方には多くの遊牧諸民族が絶えず入り込み、それまでの漢民族と交雑し、そのたびに新しい漢人が生まれてきました。そして、その時、言語にも多くの影響が及んだと考えられますが、漢語の語順を厳守するか、それとも膠着語の語順に変えるか、選択は二者択一であり、その中間の道はなかったはずです。かりに語彙は変化することがあっても、統語法は粘着的で変わりずらい(あるいは逆にドラスティックに変わる)、これが変わらぬ真理であったと思います。
しばしば専門の言語学者の中には、印欧諸語の語順が必ずしも、英語のように、S+V+O型ではなく、他の語順も許されていたことを根拠にして、<語順は言語を分類する場合の基準とはならない>と主張する人がいます。しかし、この主張自体を否定するわけではありませんが、膠着語の言語型と非膠着語の言語型の間には、簡単な相互移行を許さない固い壁が存在したことを認めないわけにはいかないのではないでしょうか? もしかすると、それはいったん特定の言語に固着してしまうと、その後、数千年は言うまでもなく、数万年を超える期間にわたってさえ、変えることが不可能(またはきわめて困難な)特徴として固定化してしまうと考えられないでしょうか? これは前回言及した語彙の相対的な変化の容易さと対照的です。
もし、そうならば、比較言語学は、これまでとは異なった視点から検討されなければならないことになります。それは、東アジア全体における何万年にも及ぶ人類の移動の歴史を視野にいれなければならないことになるでしょう?
しかし、果たして、このような出アフリカ後の人類の移動を視野に入れた場合、膠着語(日本語型)と非膠着語(漢語型)という東アジアの2つの言語群の出現をうまく説明できるでしょうか?
この無鉄砲とも思われる難問にトライしてみたいと思います。無鉄砲というのは、これがこれまでの比較言語学に "challenge" する(つまり批判し、否定する)ことになるからです。その際、手掛かりになるのは、近年めざましい成果を上げてきた考古学や、とりわけ遺伝学(つまり古人骨などのDNA解析)の成果です。ただし、私は、この点でもあくまで素人であり、したがってその道の専門家による達成をできるだけ忠実に紹介することから始める以外に道はありません。
アジアにおける膠着語型と非膠着語型(漢語型)の言語の分布