西頸城郡の大正時代の地図、他 | 書と歴史のページ プラス地誌

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私の郷里の上越地方(糸魚川市、上越市など旧頸城郡)の歴史・地誌をはじめ、日本列島、世界の歴史・社会・文化・言語について気の向くままに、書き連ねます。2020年11月末、タイトル変更。

 このブログで時々上越地方(旧西頚城郡、久比岐とも言います)の写真や歴史を紹介していますが、この地方をよく知らない人、または知っていても細かい地名まではという人のために、地図を掲載します。

 といっても大正5年(1917年)の『郡勢要覧』という印刷物(リーフレット)に載った地図ですが、地名(字名)や河川名、山名は同じです。ただし、市町村はまったく変わっています。

 

 
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 地図は現在と逆で北が下、南が上になっています。

 それから市町村は現在の市と対応させると次のようになっています。

 

 名立町・名立村は、上越市と合併。

 磯部村・能生町・能生谷村・木浦村は、いったん合併して能生町になったあと、現在は糸魚川市。

 浦本村、下早川村・上早川村・大和川村・西海村・糸魚川町・大野村・根知村・小滝村・今井村は、糸魚川市に合併。

 青海村・歌外波村・市振村・上路村はいったん合併し青海町になったあと、現在は糸魚川市。


 そのような訳で、多かった町村は、2つにわかれ、名立は上越市と合併、残りはすべて合併して糸魚川市になりました。

 

 この地方の特徴は、海岸から南方・内陸へさかのぼり川沿いに集落が点在し、わずかな例外を除き、道路が最後は行きどまりになる点にあります。このような地形を谷と呼び、西頸城郡(直江津や高田から見て西浜と呼ばれます)には7つほど谷があります。

 直江津に近い方から順に有間川(西頸城郡ではありません)、名立川、能生川、早川、大和川、姫川、根知川・小滝川(姫川の支流)、青海川の各谷です。

 

 このうち川沿いの道を車で山側に向かって走り、外部の市町村へと抜けることができるのは、姫川と名立川だけです。

 ただし、これは現在の話であり、昔は谷と谷を結ぶ山路が利用されていました。上杉謙信も春日山城から越中に進軍したとき、海沿いの道と山路を利用したと伝えられています。


 前に簡単な地図を載せましたが、今度はもう少しましなもの(自作)を載せることにします。


 旧上越市(旧高田・直江津)あたりから能生町の一部まで

 緑色が標高200メートル以上、黄色が500メートル以上、茶色が1000メートル以上です。

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 能生町

 緑色は標高200メートル以上の土地です。


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 最後は能生町の西部から青海町の東部までです。

 同じく緑色は標高200メートル以上です。北アルプスが海近くまで接近し、西側には有名な糸魚川・静岡構造線があります。

 

 先の郡勢要覧には、名所旧蹟として、月不見池、八十八ケ所、弁天島、不動滝、福来口(鍾乳洞)、親不知、山媼の屈、蓮華山(白馬山の新潟県側)、蓮華温泉、石器・勾玉時代の考古遺蹟、古社寺多数、関所・番所、その他が紹介されています。

 

 少しずつ紹介することにして、今日はこれまで。