SBMA⋯🧬

父や叔父を悩ませてきたこの病気


遺伝することは聞いていても

女性には遺伝しても発症しないと言われていましたが⋯


嘘やん!!!!!!


遺伝子検査の結果は

思っていた通り


主治医の予想通り

陽性でしたピリピリピリピリハッ


しかも

かなり高い数値で遺伝子には異常が出ていましたあせるあせるガーン


女性の発症は

今は研究段階のため

薬が認証されてなくて⋯


と、いうより

病気と認定されてないから

女性に対しては使う薬がない!!!


男性なら

リュープリンが使えることが分かってても


女性に症状が出ていても

病気と認定されてないから⋯

研究段階だから⋯


女性には

治療ができない

進行を止める薬がない


だから

経過を見ていくしかないと


そのために年1で大学病院に受診し

データーを提供する代わりに

最先端での研究結果を聞き

それを参考にする


ただそれだけで

自分の身体においている症状を

ただ伝えるだけ


どんなに筋力が落ちても

全身にぴくつきが起きてても

病気に認定されてないから

ただ一つの症状としてでしか

診てもらえない


対処療法で

抗けいれん薬を使い

起きてくる症状に合わせて

内服薬をコントロールする


もうこれしかできない

進行性の筋力低下


これからどうなっていくんだろう⋯



怖い⋯


父は40代後半で症状が出始めて

最後は車椅子生活でした


手足の筋力低下で

自力で座ることも移動することもできず

母の助けを借りて在宅で日常生活を送っていました


食事は

時々手伝って介助してもらいつつも

なんとか自己摂取できており

嚥下機能の低下は著しく低下することなく

時折むせ込みだけ起きるような状態でした


そんな中でも

自分のできる限りのことを諦めることなく

やれることを時間がかかってもやり通す


そんな父でした


車椅子で座って過ごす時間が大半でしたが

褥瘡ができることもなく

尿管カテーテルを入れることもなく

オムツを当てていましたが

できるだけ自分で尿器を使い

排便は家族が操作して

ロボットを使いトイレで済ませていました


自分が今、段階的に同じような症状に

なっていくのを実感して

父のような生活にいつかなるかと思うと

とても怖いです

周りの人に迷惑をかけてしまう⋯


父は公務員で早期退職をしましたが

あたしはシングルなのと

自分の仕事が好きなので

辞めたくありません⋯


仕事が自分の居場所を作ってくれて

自分らしくいられる場所の1つでもあるからです


父に何回も聞いたことがあります


「 こんな風に生きていくのって辛くない?」

「どんな風に気持ちをコントロールしてるの?」


その時

父が言ったのは


「仕方ない、ゆっくりやるしかない」

「考えたって仕方ないやないか。

       やれることをやるだけだ」

と。


どんな状態でも諦めないのが父でした。

身体が傾いて座位バランスがとりづらくなっても傾いた姿勢でパソコンで日記を書くのが日課でした。

孫娘が夏休みの宿題で本棚づくりをしている時困った孫娘にノコギリの使い方を教える優しい父でした


自分の身体が思うようにならなくても

人に一度も八つ当たりすることなく

自分のやれることを精一杯やるという姿勢を

見せ続けてくれた父でした


そんな父はもうすぐ三回忌を迎えます


今自分が父のようになっていくことで

今聞きたいことがたくさんあるのに

もう聞くことは叶いません


あたしのできることは

父のように

諦めずに

生きていくことなんだと思います


それを父があたしに教えてくれたこと


どうなっていくか分からないこの病気と

向き合う姿勢を

ただ一人身近で教えてくれた人


あたしは

なかなか父のようには強く生きれません


弱音を吐いたり

できていたことができなくなって

悔しくて涙が出る日もあります


でも生きていかなくてはいけません


だって幸せを毎日感じたいから


足りないものばかりに目を向けず

楽しめることに幸せな気持ちを向けていたいから


だから

自分ができる楽しみを見つけて

身体が動くことに感謝して

前向きに過ごしていきたいです